JICA研究所によるレポート「SDGsに向けたデータ革命」について

SDG

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JICA研究所が「Harnessing the Data Revolution to Achieve the Sustainable Development Goals: Enabling Frogs to Leap」というレポートをアメリカのCenter for Strategic and International Studies (CSIS)との共同研究の1つとしてリリースした。詳細は、JICA研究所のWebをチェックしてみて下さい。

とりあえず斜め読みしてみた。以前このブログでも何度か取り上げているように、携帯電話の使用状況を始め途上国でも取得可能なデータは増えた。この報告書でも衛星からの情報や携帯電話使用にかかる情報などが例示されており、そんなビッグデータを途上国開発に有効活用するための課題や提言などが書かれていた。

データ有効活用への課題として一番納得感があったのは、政府人材のキャパシティだ。以前の投稿「Structural Data Justice(データ活用の妥当性)」でも書いているが、やはりデータはデータでしかなく、それを利用する人間のキャパ次第。技術力的なキャパだけではなく、データを取ったが故に見たくない現実(自分や政権に不利になる情報)が見えてしまったときに、正直に公開するのか、隠蔽するのか?といったモラル的なキャパも含まれる。これはデータだけでなくICT一般に言えることだと思う。

また、レポートを読んでいるなかで感じたのは、本当に途上国政府は使えるデータを取得出来るのか?という点。レポート内ではあまり触れられていなかったが、データはやっぱりGoogleやFacebookを始めとする欧米企業のほうが圧倒的に持っていて、途上国政府が保有可能なデータはあまりなく、衛星情報等の限られた(もしくは役に経たない)データしか政府は入手できないのかも知れない。

さらにもう一つ感じたのは、データありきの考え方が浸透しすぎると、データが取れない(もしくは取りにくい)場所への支援が減るのではないだろうか?という点。そいう土地や場所のにこ本当に貧しい生活をおくっているのにだ。レポートには、貧しい77の国において2016年から2030年までSDGs達成にかかるデータを取得するには、約170億ドルが必要という記載がある。これだけ金を掛けてデータ取得に取り組むと、開発計画策定やモニタリングをするためのデータ取得が、いつしか目的化してしまうのではないかと懸念する。その結果、「この村はデータが取れないから支援は止めて、その分データが取れる隣町へ支援しよう」といった判断がなされてしまう可能性はないだろうか。

ただ、それでもこの分野に秘められた可能性は高いと感じる。どういった動きになっていくのだろうか。

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コメント

  1. Yuji Ozaki より:

    JICAのような、事業実施の意思決定時にデータに根ざしたエビデンスや見通しを求める組織であれば、『データありきの考え方が浸透しすぎると、データが取れない(もしくは取りにくい)場所への支援が減るのではないだろうか?』という心配が湧いてくるのも当然です。

    しかし、もう少し広く考えると、その心配は杞憂だと考えます。
    データが少ない・無いということは、当事者の証言以外の追検証手段が存在しないことを意味します。そんな場所や事象は、思想や主張の添え物(印象論的・感情的アピールのネタ)として重宝される(とりあえずのデータすら無いので、即座の追検証やツッコミができない)でしょうから、今後もどんどん開拓されていくと期待しています。

    例えば、文化人類学の分野で、マーガレット・ミードの『サモアの思春期』の結論の一つの追検証には、デレク・フリーマンが40年かけたと聞いております。

    • tomonarit より:

      Ozakiさん、コメントありがとうございます。確かにデータが取れない地域には、それ故の魅力(支援を引きつける要素)があるのかもしれないですね。開発効果の検証とかってのは住んでる人達にとっては関係ない話で、何らかの形で支援が得られて生活が良くなるなら、それが住民にとって一番大事なはず。SDGsの指標とかインパクト評価とかの費用対効果については、個人的には懐疑的(学問としてやるのは賛成ですが)。やり過ぎじゃなく丁度良い程度にやるってのがどの程度なのか、決めるのは難しいけど・・・。

      • Yuji Ozaki より:

        商用媒体とは縁が切れないジャーナリズムの見地からは、『データが取れない地域には、それ故の魅力(支援を引きつける要素)があるのかもしれない』が確実に成立すると思います。
        ただし、往々にして非日常かつニッチ&レアなネタに落ち込みがちなので、ある種の思想や政治的主張をスポンサーにしてストーリー仕立てにしないと「金も注目も得られない」。そこでは、スポンサーにとっての不都合な真実は、いらない「データ」になります。

        開発協力の世界では、この思想や政治的主張に相当するものが、MDGsやSDGsとか炭素系の話だったりするのかな、と。なもんで、MDGs/SDGsでは金を動かすことが目的であり、指標やインパクト評価をマトモにやろうとするとコスト面で無理ゲーになってしう(そもそも評価の実行可能性を勘案していないように見える)、とゲスの勘ぐり。

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