ICT4D分野のキャリアについて

ども、Tomonaritです。明日から新しい職場での仕事がスタートとなる最後の休日なので、ちょっと改めて自分のキャリアを振り返ってみました。

3月27日にタイガーモブさん、DMM.Africaさんのイベント「最前線のプロフェッショナルが集結! ~ict×途上国で働く~」にパネルディスカッションのモデレーターとして参加させてもらいました。ICT4D分野で、これからインターン等で途上国へ行って見ようかなと思っている若手を対象に、実際にICT4D分野でどんなことが起っているのか(現状、課題、そして可能性)と、キャリアについてお話するという会。JICA国際協力専門員の井出さん慶應義塾大学の青木さん、DMM.Africaの笠原さん、という協力なパネリストのお陰で、とても有意義な議論が出来たと思います。

ただ、既に途上国開発に携わっている方の参加も多かったので、わりと玄人向けな議論が半分で、これからの若手を対象とした話が100%できた訳ではないかな?という反省と、もっと一次情報(自分自身の体験)を提供した方が良かったかな、という反省も。そこで、これから青年海外協力隊とかインターンシップとかで途上国へ行って見ようかなというの若手向けに、話し足りなかった点として自分自身のキャリアについて、敢えて主観的に書いてみようと思います(丁度、3月末でJICAを退職し、4月から民間企業に転職することもあり、良いタイミングかなと)。かなり長文ですが、これからICT4D分野に進もうかな?と考えている人達には参考になるんじゃないかと思います。

2003〜2005年:青年海外協力隊

「やりたいことがわからない」という学生だった自分は、とりあえず就職した最初の会社を3ヶ月で辞めました。でも、辞めてフリーターをやってみて初めて「働かざるもの食うべからず」ということを実感し(要するにお金がなくなった)、ITシステム営業として再びサラリーマンに。でも「これが一生涯やりたいことかな?」という思いは拭えず、3年働いてから、以前から漠然と関心のあった青年海外協力隊に参加しました。ボランティアって無償奉仕のイメージがあったのですが、よくよく調べてみると、JICAが渡航費、生活費をカバーしてくれるし、国内積立金という制度もあって、それなりに経済面のサポートがあると分かりました。それで踏ん切りがついて、エチオピアの地方都市の高校でIT教師を2年間やりました。同僚の先生や町の人達など、良い人達(今の奥さん含め)に恵まれ充実した2年でした。ただ、営業しかやってこなかったので、技術面に不安があり、日本からダンボール1箱分のIT系の参考書を送って、それまでやったことがないAccessのVBAとかVisual Basicとかもさわりだけは同僚に教えられるよう必死に勉強したりして対応してました。PCの修理とかネットワーク構築とか、正直、日本ではやったことがない作業を現地で学びつつ実施することも多かったです。

当時、エチオピア政府が遠隔教育プロジェクトを実施したタイミングと重なり、そのプロジェクトを目の当たりにし、ICT4D分野に関心を持たのは、とても良い偶然でした。まあ、それはもう問題だらけのプロジェクトで、「なんでこうなるかな?」と端から見ていて、非常にもどかしい感じでした。

2005〜2007年:在エチオピア日本大使館

エチオピアが気に入りどうしても残りたくて、「何か仕事はないものか?」と模索していたところ、偶然、現地の日本大使館がアムハラ語が出来て現地に詳しい人を探しており、そこで雇ってもらえることに。当時は「やべー、アムハラ語の通訳とか頼まれたら、そこまでは出来ないなあ(汗)」という思いから、採用の話を貰ってから必死でアムハラ語を勉強し直してました。仕事は「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というスキームで、現地のNGO、地方自治体、学校、などが実施する開発プロジェクト(井戸作ったり、学校作ったり等)に500〜1000万円位の資金を供与して、その進捗管理をするというもの。エチオピア国内津々浦々を出張出来たのと、大使館勤務を通じて外交やODAの世界を垣間みることが出来、とても充実した2年間でした。ついでに協力隊時代のIT絡みのトラブルシューティング経験を活かそうと、MCP(マイクロソフト・デスクトップ・サポート・テクニシャン)という微妙な資格(そこまでメジャーじゃなく難易度も高くない)を取りました。

2007〜2008年:マンチェスター大学 ICT4D修士留学

大使館の仕事で井戸掘削や学校建設といった王道の開発プロジェクトに携わることが出来き、そのまま王道の開発分野(教育分野など)やエチオピアに特化した人材になる選択肢も考えたものの、「やっぱりICT4Dがやりたい」と思い、ICT4D分野での留学を選びました。大学時代は全く勉強する気が起きなかったですが、このときは勉強が楽しく、我ながら良くやったと思います。このときの勉強が今もベースになっています。世界中から来た同級生との交流も楽しかったなあ。

2008年後半:留学から帰国後、就職に難航

卒業後、まずは民間IT企業への就活を開始しました。なぜ援助業界じゃなく、民間にしたか?は以下の理由から。

協力隊のときに一番仲良くなったエチオピ人青年がいました。ほぼ毎日一緒に遊ぶくらい仲が良くなり、彼に今の奥さんとの仲も取り持てもらったりもしました。自分が大使館勤務をしていた頃、その彼から、「ドバイに出稼ぎに行けるチャンスを掴んだ。だた、ドバイへの出稼ぎ斡旋ブローカーへ払うお金があと◯◯ドル(5万円位)足りない。支援してくれないか?急ぎで払わないとこのチャンスを逃してしまう…」という相談をうけ、「5万円で彼の人生が変わるなら」と思い支援しました。で、それから約1年後にその町へ行ってみると、彼が普通にいました。「あれ?ドバイへ行ったんじゃ…?」と聞いてみると、ブローカーの都合で行けなくなったとのこと。「そいじゃ、あの5万円は?」と自分。「あの5万円でレンタルDVDのビジネスを始めたよ。結局、上手く行かず店は畳んだけどね。」と大量のDVDとプレイヤーを見せる彼。感謝はしてくれているものの、自分としては、「おいおい、話が違うじゃないか。ドバイ行かないなら、お金返せよ…」という思いも。

また、大使館勤務の最後、現地NGOのオジサン達が最後にお別れを兼ねて食事に行こうと誘ってくれたり、最後の記念にとギフト(エチオピアの民芸品とか)をくれたりしました。でも、自分のなかで「この関係は、自分が金を融通してくれると思っているから、相手は親しくしてくれるのかな?」という想いは拭い切れず、なんとなく嬉しいけど心の底からは喜べない感じがありました。

結局、お金を「あげる立場」と「貰う立場」という関係では、本気の付き合いは出来ないのかな?と感じました。損得感情で動くのは日本人同士でもありえる話ですが、異国の人との関係においては、何故か理想の人間関係を追いたくなってしまうのでした。そんな思いから、援助じゃなくてビジネスなら、違った人間関係を築けるのではないか?という期待感から、民間企業への就職を第一に考えたのでした。

青年海外協力隊、大使館勤務、そして留学、と「それなりに十分な経験を積んだぜ!英語力も結構高いぜ!」とそこそこ自信はあったのですが、「途上国の課題解決をICTを使って解決するビジネスを展開したい!」と熱い想いを綴った履歴書を大手IT企業へ送り続けるも敗戦ばかり。面接にもこぎ着けられず…。一方、1人でシステム開発が出来るようなスキルはないので、専門家としての即戦力が求められるコンサルタント会社にも相手にされず…。当時、シェアハウスの6畳一間に夫婦で住みながら、「ICT4D分野に拘らず、途上国開発関係なら何でもOKと選択肢を広げるべきか…?エチオピア関連なら仕事取れるんじゃないかな…?」と迷いつつも、ICT4Dへの拘りは捨て切れずにいました。

2008年後半〜2009年:派遣スタッフとしてJICAで働く

派遣スタッフとしてJICAで働くという求人を発見。JICAの研修員向けに独自のSNSを立ち上げるので、その運営に携わるという業務内容でした。「派遣かぁ・・・、うーむ」と悩みながらも、就職活動は上手く行ってない点、ICT関連でJICAで働けるという点、を考慮して、この仕事をすることに決めました。確か時給1700〜1800円だったような。食ってけない額じゃないけど、慶應義塾大学卒、マンチェスター大学修士卒の32歳でこれか?という思いはありました。でも、シェアハウスの生活は楽しかったし、JICAの職場でも人に恵まれて良い経験が出来ました。特に、それまで協力隊としてしかJICAを見てなかったのですが、それまで見てたのはJICAのほんの一側面に過ぎなかった点に気づけたのは大きかったです。

また、この期間に「このままじゃやばいな」と思い、資格試験に積極的にトライし、結果、以下の資格を取る事が出来ました。

  • ITストラテジスト
  • 情報セキュリティスペシャリスト
  • 情報セキュリティ検定1級
  • ITIL Foundation
  • TOEIC 950点

情報セキュリティ系の資格をとったので、民間の情報セキュリティ関連企業や、IPA(情報処理推進機構)とかにアプライしたところ、面接までは漕ぎ着けるも、「ICT4Dをやりたい!」という話をすると反応は悪く、採用されませんでした。IPAでの面接では、面接官から「IPAの業務がどういうものかご理解されていますか?」と言われる始末(涙)。まあ、そりゃそうだ。

2010〜2011年:JICAへ就職、最初の部署は情報システム部門

派遣スタッフとしてJICA内部に人脈が出来たお陰か、資格をガンガン取ったお陰か、2009年後半に、運良く開発コンサルタント会社とJICAの両方からオファーを貰うことが出来ました。マジでラッキーだったと思います。開発コンサルタントで専門家として途上国の現場で仕事をするか、JICAでODA全体のマネジメントをするか、迷ったあげくJICAを選びました。やはり自分の専門性ではICT専門家としてやっていくのは厳しいだろうという思いと、当時、日本に来て1年ちょいのエチオピア人の妻をおいて、年間半分を海外出張に費やすような開発コンサルという職は選びにくかったという事情もありました。

JICA情報システム部門は、いわゆる組織の情報システム管理をする部署なので、途上国開発には直接関われない仕事でしたが、最新のIT技術を学べたり、JICAの事業が多岐に渡ることを学べたりと、色々と勉強になりました。

2011〜2014年:念願のICT4D担当に

2つ目の部署は、交通インフラを中心に社会インフラ整備のプロジェクトを担当する部門で、そこでは、多種多様なICT4Dプロジェクトを担当しました。平均すると2ヶ月に一回位の頻度で海外出張へ行き、それ故に結構忙しく、終電で帰宅することもしばしば。それでも念願のICT4Dを仕事に出来、とても充実しており、この時期に自分自信のODAに絡むスキルも延びたと思います。今も客員講師をさせてもらっている神戸情報大学院大学とのコネクションや、今も繋がっているICT4D分野の関係者とも知り合うことが出来た点でも、この部署に配属してもらえたのは超ラッキーでした。このブログを一緒に運営しているKanotと知り合ったのも、このときでした。

また、この頃、例のエチオピア人青年からまた連絡がありました。「大病にかかってしまい、手術をしないとあと半年の命だと医者に言われた。手術には◯◯ドル必要なので支援してくれないか?」と。金額は覚えていないのですが、2〜3万円というよりかはそれなりに高額ではあったものの、自分にとって決して払えない額ではありませんでした。ただ、これを真剣に取り合うべきか否か?と悩みました。結局、日々の忙しさもあり、返事はしないままでした。そして、半年〜1年経った頃、Facebookを通じて彼の弟から、彼が亡くなったことを聞きました。

2014〜2017年:ガーナ事務所でインフラ担当

3つ目の部署はガーナ事務所。インフラ(道路、電力)分野を担当しつつ、一方で事業予算の管理や対ガーナ政府援助窓口とのやり取りも担当しました。とても気の合う良い同僚に恵まれ、楽しい3年間をガーナで過ごしました。ICT分野のプロジェクトがなかったのは非常に残念でしたが、コートジボワール、トーゴ、ブルキナファソを含む西アフリカ広域のプロジェクトやシエラレオネやリベリアも担当していたので、西アフリカ各国を訪れることが出来、現地のICT普及状況を肌で感じることが出来たのは、得難い経験でした。エチオピア以外のアフリカを知ることが出来たのも、とても良かったです。

また、「お金を上げる立場」と「貰う立場」という観点でも一つ気づきがありました。ガーナ政府の関係者とのやり取りを通じて、彼らは自分達を「貰う立場」と思っていないと感じました。施しを受ける立場ではなく、「貰って当然」と考えているのだと。日本が外交戦略的にODAを使う背景や中国を含むドナー同士のせめぎ合いも理解した上で、日本のODAをどう有効活用するかを考え、駆け引きしてくるのだと。そういう意味では、協力隊や大使館勤務時代に感じたのは草の根レベルでの話に限定的で、対政府などハイレベルになれば、ビジネス同様にシビアなやり取りを通じての人間関係を築けるのかも?とも感じました。ただ、それでも「お金を上げる立場」に変わりはないので、自分自身がどう感じるか次第ですが。

2017〜2018年:総務部で全く新しい仕事を

4つ目の部署は総務部。それまでとは全く異なる仕事を経験しました。日本においてJICAはこんなに色々な面で期待をされているのか!という気づきと、組織運営という視点、を得ることが出来ました。それは良い面だったのですが、一方で、ICT4Dに関わるチャンスは非常に限定的でした。日本にいるとガーナと違ってICT4D関連の情報(セミナー、勉強会等のお知らせやJICA以外のプレイヤーの取組み状況等)がバンバン入って来るので、新しいテクノロジー(AI、IoT、3Dプリンター、ドローン等)によってICT4D分野が未だかつてない程盛り上がっているとう状況を横目で見つつ、ICT4Dと関係ない仕事をしていることが、「なんかもったいないな」と感じるようになりました。

2018年4月〜:アビームコンサルティングへ転職

たまたまJICAが運営している国際協力分野の求人サイト「PARTNER」を見たときに、アビームコンサルティングが「ICT4Dに関心のある方募集」というフレーズで求人を出しているのを見つけました。開発コンサルタントではなく、IT系の企業が「ICT4D」というキーワードで人材募集をしているのを見たのは初めてでした。マンチェスター留学からの帰国時に、箸にも棒にもかからなかった状況から、時代は変わったなぁと感じると共に、アプライした結果、オファーを貰えたことから、JICAで過ごした8年間で自分自身の市場価値が当時よりも上がった(あるいは時代にフィットした)のだと感じました。そして、ICT4Dに拘りたいという想いや、かつて感じた途上国の人達とビジネスで付合ってみたいという想いを胸に、転職することにしました。今後は、これまでの「国際協力分野でICTに詳しい人」から「IT業界で国際協力に詳しい人」というポジションで、ICT4Dを盛り上げて行きたいと思います。

最後に

以上、まるで日記のようになってしまいました。
このブログを通じて、協力隊の方や大学生の方などから、ICT4D分野での留学相談やキャリア相談の問い合わせを受けることがたまにあるのですが、そういった若い方の参考になれば幸いです。もしかしたらODAや援助を否定的に論じていると感じる方もいるかもしれませんが、決してそういうことではありません。

ICT4D分野で仕事をするとなると、JICAや国際機関など国際協力業界に身を置いてITプロジェクトに携わるか、それともIT業界に身を置いて国際協力プロジェクトに携わるか、の二択だと思います。前者は国際協力のど真ん中で政策面や案件立案に絡める反面、どうしても技術面は弱くなるリスクがあると思います。一方、後者の場合は、現場で活動出来る面白さや技術面の強みといったメリットがありますが、利益を追求しないといけないので、自社製品の売り込み等、Supply-drivenになるリスクがあると思います。27日のイベントで、参加者の方から「援助でしか出来ない領域、ビジネスでしか出来ない領域を上手く組み合わせていくのがベスト」というコメントがありましたが、正にその通りだと思います。かなり昔に同じようなことを「ICT4Dにおける政府の役割とは」として投稿したこともありました。今後、自分自身が前者から後者へ転じてみてどうなるか?はどこかのタイミングでまた投稿しますので、お楽しみに。

“ICT4D分野のキャリアについて” への2件の返信

  1. 50すぎて思うんですけど・・・
    「キャリア」なんてもんは「リ○ルート」とかが作り出した「幻想」でしょう。
    人生ってそんな決められたレールなんてないんですよ。道無き道を行くというのが基本なんです。そんなもんに騙されちゃいけません!!
    そういう現実ってアフリカ人の方が強く認識してるな、と思う今日この頃。

    1. TOSHIさん、確かにそのとおりですね。改めて思うのですが、高校生や大学生のときには、「大人になったら、どんな仕事がしたいか?とか悩まないんだろうな」と思っていたのですが、42歳になっても、結構悩み続けているんですよね。結局、決められたルートはなく道無き道を行くということですね。50歳過ぎてもそうだと言うコメント、なんだか嬉しいです。

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