ICT4DのDevelopmentとは?

ども、Tomonaritです。マンチェスター大学のRichard Heeks教授が、APC (Association for Progressive Communications) というNPOのブログポスト「Inside the Information Society: ICTs, the Internet and structural inequality」をシェアしていたので読んでみました。「ICTは格差を拡大する」という10年前からモヤモヤしていたトピックに関するものなので、改めて考えて見ました。

ICTは格差を拡大する

APCのブログポストの内容は、『ICTが普及してデジタル・デバイドの解消や、貧困層が情報へアクセス出来ることで便益を得られるようになる、といった楽観的な考えとは逆に、実際は、ICTの普及は「持つ者」と「持たざる者」の格差を広げるというもの。金持ちの方がICTを使えるし、教育レベルの高い人の方がICTを上手く活用出来るけど、貧乏人や教育レベルの低い人はICTが利用出来たとしても、実際はそのメリットを100%は享受出来ない・・・。だからICTが普及するとより一層格差が広がる』という指摘。これまでもRichard Heeks教授Kentaro Toyama教授の理論を引き合いに、このICT4D.JPブログでも時折取り上げて来た。世銀のWDR2016でも同様の指摘がされている。

例えば、Heeks教授のInformation Chain Modelを使って示すなら以下の図のように言えるだろう。情報を使うためには情報にアクセス(Access)し、その情報の質を判断(Assess)し、活用する(Apply)というステップが必要で、さらに決断(Decision)して行動(Action)を起こして初めて、情報を使って便益を得る(Result)ことが出来るが、情報を使うためにも行動を起こすためにも、経済的資源や社会的資源が必要である。「結局、Resultを変えるにはICTだけじゃダメじゃん(涙)」という理屈だ。

ICTはツール、使うのは人

金の有る無し(経済的資源)とか教育レベル(社会的資源)とか、そいうった要素を突き詰めると、最終的には社会構造上の強者と弱者ということになる。結局、ICTは強者をより強くするもので、弱者は弱者のままである、というわけだ。以下、端的な事例を紹介したい。

エチオピアの遠隔教育
都会と地方の教育格差を縮めるために、同じクオリティの教育を提供出来る遠隔教育を開始した。同じ授業の動画を全国の高校に配信するもの。教師のレベルが低く、授業で使える教材も乏しい田舎でも、良い先生がいて教材も豊富な都会の学校と同じ授業(外国で制作された教育番組)が受けれるようになりました。でも、田舎では停電が多く授業が受けれないこと多い、教育番組は全て英語版だが田舎の学生は英語力が低い、逆に、都会は停電が少ない、学生の英語力も高い、ということで、田舎と都会の学生の学力格差は、広がることに・・・。

【インドの電子政府】
土地所有証明書等、自治体から入手することが必要な書類の申請時や受取時に、窓口担当者が賄賂を要求することが頻発していたいインド。人が介在しないで、インタネット申請が出来るシステムを作り、各地域のテレセンター(政府が運営するネットフェ的なもの)に申請用PCとプリンターを設置した。賄賂が不要となる想定だ。ところが、利用者のITリテラシーが低く自分で操作出来ないため、テレセンターの従業員に操作を依頼するしかない。となると、今度は操作をしてくれる従業員が賄賂を要求するようになった。結局、弱者は弱者のままという話。

こんな感じの事例は多い。テレセンターが出来たが利用者は男性ばかりとか、携帯電話の所有者は男性が多いとか、ジェンダーの観点で男女のICT利用格差(=それによる便益を得られる男性とそうでない女性の格差拡大)を指摘する声や、一般市民の声を集まる為に電子掲示板(←古いね)やSNSのサイトをオープンさせても、そこに書かれる意見を汲み取るか切り捨てるか?の判断は政府がしている(=つまり真の意味での市民参加になっていない)、という声も良く聞かれる。

じゃ、どうするのか?

良く聞く解決案は、ICTの普及が社会的な強者と弱者の格差拡大を助長するのではなく、格差を縮めるために使われるには、「弱者に配慮したICT政策」が必要、というもの。地方の情報通信インフラ整備に注力するとか、通信費用を低価格に設定するとか、文字が読めない人でも理解出来るようにイラストや動画などで情報提供するとか。その通りだと思うものの、そういう政策が本当に機能するのかは疑問も残る。単純にそういう政府の決めるICT政策がイノベーションを阻害したり、結果、他国に遅れをとったり、という点が懸念される。また、先進国から途上国へインターネットの便利なサービスがどんどん流入してくるなかで、その便利なサービスを使える人(つまり強者)は当然のごとく使うわけで、途上国政府が自国内の格差是正を真剣に考えるなら、中国がGoogleの利用を規制するように、先進国のサービス利用を規制し、自国内で誰にとっても平等となるようなサービスの開発・普及を促進するしかないのかもしれない。でも、それは14億人の中国だから出来るものの、そう簡単にまねは出来ない。小国がまねたら、単純にICT利用の便益から置いてけぼりとなってしまう…。

弱者への配慮は訴え続けるべきだと思うものの、実際にじゃどうするのか?とい点については、上記のようなICT政策の立案とか、基礎教育の普及を促進し教育格差を是正するとか、「確かに必要」とは思うものの、これまで「おお!そうか!」と腑に落ちる解決案を見た事がない。

モヤモヤ感

「ICTそのものは万能でなく、それが使われる背景(コンテクスト)によってICTは格差を拡大もする」とか「ICTは使う人が持っている能力を増幅するだけ(=能力が低ければ、そんなに効果がない)」という主張は10年前からなされているのに、上記のAPCのブログポストや世銀のWDR2016に記載されているように、最近でも同じ指摘をよく見る。それでいて、「おおっ!そうか!」と腑に落ちる解決案にはお目にかかる事ない。それが自分のなかのモヤモヤ感として、ずーっとある。「ICTは格差を拡大する」という指摘はとても重要なポイントであるが、そろそろ「それは当たり前」として、その先の議論をするべきじゃないか?と思い始めた。

ICT for DevelopmentのDevelopmentとは?

ICT4Dというとのき”Development”とはどういう意味と捉えるのがしっくりくるのか?格差是正とか平等な社会を作るという点が最重要なのだろうか?勿論、SDGs達成や一昔前のMDGs達成を目標とするような「開発」という意味に捉えて見れば、「誰一人取り残さない」という崇高なスローガンに表現されるように格差是正は重要なポイントである。ただ、教育や保健という公共性の高い分野と異なり、民間企業が主導するICT分野ではその点はある程度目をつむることもアリなんじゃないだろうか?

「弱者切り捨て」のように聞こえるが、そういうではないつもり。政府が主導する遠隔教育とか遠隔医療においては、誰でも平等にサービスが受けられるように「ICTは格差を拡大する」という点を踏まえた対策が必要なのは間違いないが、ICT政策としてICT分野全体を規制するのはどいうかと思う、という意図です。

そして、ICT4Dの”Development”は、SDGs達成のためのDevelopmentというよりも、これまでと違う新しい方法で物事を実現するとか、これまでと違うことを実現するとう意味、”Difference”と捉えても良いのではないだろうか。

ICT4Dの次の流れ

マンチェスター大学のRichard Heeks教授の分析をなぞれば、2000年頃のICTを途上国開発に活用しようという流れは、先進国のICT活用成功モデルをそのまま途上国へコピーするようなプロジェクト(←テレセンターに代表されるような)を沢山生み出したが、途上国のコンテクストを考慮出来ていないため失敗に終わることが多かった。これが「ICT4D1.0」。
次に途上国のコンテクストにマッチしたソリューションが必要だという意識のもと、途上国向けのソリューションが生み出されていった(例えばOLPC)。これが「ICT4D2.0」。

ここからは個人的な見解ですが、次のフェーズはM−PESAやUshahidiのように途上国発で且つ先進国にも波及したソリューションじゃないかと思う。ICT4D分野のいわゆる「リバースイノベーション」。

「じゃ、次は?」と考えてみると、次はIoT、AI、フィンテック、ブロックチェーン、ドローン、ロボットect.といったテクノロジーの活用だと思う。そして、一つの特徴は、何かのプロセスの効率化を実現するためのOne of themのツールとしてICTを使うというよりも、ICTを中心にした新しい事業(まさにSomething “Different”)が実施される点、そして、それと同時にICTがツールから「プラットフォーム」の役割を担うという点。先日、Kanotが講師をした「ブロックチェーン×国際協力」勉強会を通じて、ブロックチェーンの活用事例や可能性を知ったときに、上記の特徴をすごく感じました(勉強会の内容は、ここからチェック出来ます)。

結局何が言いたいのか

「ICTは格差を拡大する」というAPCのブログポストをRichard Heeks教授がFBでシェアしているのを見て、「10年以上前からやっている議論を今でもシェアするのか・・・?」とモヤモヤを感じた内容をそのまま書いたので、まとまってないです。「ICTは格差を拡大する」という議論がそろそろ下火にならないと、それに引っ張られて、イノベーションを阻害するようなICT政策が出来ても困る、だから、ICT4Dの”Development”はDifference位に捉えたら、という話でした。

一昔前に、マイクロファイナンスが流行り出した頃、マイクロファイナンスではBottom of the Bottomの人達は救えない(貧乏人同士が互助組合的グループを作る際、自自分よりも貧乏だったり信用がおけない人とは組まないので、本当の弱者は救えないという意味)、という批判も聞きました(かつてこんなブログポストも)。また、そもそも論として、開発プロジェクトはその便益を受けれる人とそうでない人の格差を拡げるという側面は否めないです。ICT4Dもおなじ。その中で民間企業、NGO、政府、援助機関といった各組織が役割分担して「誰一人取り残さない」という崇高な理想に近づこうとするしかないのだと思います。なんだが、やっぱりモヤモヤしたままで終わってしまった・・・。今後、もっと整理出来たら続編を書きたいところです。

“ICT4DのDevelopmentとは?” への10件の返信

  1. 少々嫌らしい見方ではありますが、「ICT(数学)よくわかんなーい」という信憑は、ICT(数学)を理解する学習や練習を最初から放棄させる理由づけとなり、知的怠慢の言い訳として実に重宝です。また、「ICTや数学なんかわかんなくても(私のように立派に)生きてこれた」「ワープロ使えるからとって小説家になれるわけでもないしな!」という自己肯定と容易に結びつきます。そのような人たちが多数を占める環境では、ICT(数学)を身につけたところでそれを発揮するところはありません。
    ICTなどの能力を持った人を、丸投げ&単独で現実と対峙させるのは残酷です。悲しいまでの多数決により、知的怠慢な人たちが形成している環境に飲み込まれてしまいます。だからこそ、能力を持った人はその能力を発揮できる・理解してくれる環境へ移動を続けた結果、格差(偏在)が顕在化する、のではないでしょうか。

    格差是正によく使われる(JICAお得意の)「研修・ワークショップ」にしても、「誰かに習えばなんとかなる」のは、初心者の入り口までであって、具体的にそれでお金を儲けるまでに至ることはほぼないと考えます(「わかんなーい」を主張する人たちが集まって文殊の知恵がでるのかなあ)。
    ある「専門家」が1万時間を費やして学習と経験を重ねてきた事象を、2-3日の研修で同じレベルまでもちあげろ、という意見や要求をする方もこの業界には多いのですが、人間の能力向上って、機材の調達みたいには行かないよねぇ、と(苦笑)。

    そのうえで、文中の『ICTは強者をより強くするもので、弱者は弱者のままである』については、これまで埋もれていた才能や技能がが環境変化により頭角を現した結果、環境の強化度合いと人間の能力の格差が可視化されたと考えることもできます。
    つまり、もともと「格差」は潜在的に存在しており、それが(多くは金銭や環境的に)可視化されたに過ぎず、弱者切り捨てではなく、吹きこぼれていた人の救済だとの解釈も可能です。
    とはいえ、可視化されない方が(特にソフト系の援助関係者は)幸せだったのではないかなぁ、とも感じます。

    ICTをツールとして考えていると、どうしても格差是正など開発課題を考えてしまいますが、一転してICT(redinessなど利活用の前提条件)を開発の評価指標のひとつとして捉えれば、見える風景が変わってきます。その前提として、ICTを「手に職(個人のスキル)」ではなく「サイエンス(社会資本のひとつかな?)」として捉える必要はあると思います。
    ちょうど、事業より評価を中心として行政に入り込んだジェンダー周りの人たちがそうしたように(ジェンダーな人たちの主張がサイエンスか、というのはさておいて…)。

    1. Ozakiさん、コメントありがとうございます。いつもながら難解ですね(笑)
      Ozakiさんの言おうとしていることを100%は理解出来てないのですが、所々刺さるポイントがありました。とても興味深い議論なので、Ozakiさんの主張を理解したいので、自分が分かってない点を質問させて下さい。回答するのは面倒かもしれませんが、回答期待します!

      >だからこそ、能力を持った人はその能力を発揮できる・理解してくれる環境へ移動を続けた結果、格差(偏在)が顕在化する、のではないでしょうか。

      上記の点は、ICT活用能力のある人だけがどっかに集まって行くということでしょうか?例えば、起業家ネットワークに参加出来るのはICT活用能力が高い人々で、彼らは金持ちになっていき、ICT活用能力のない人達との格差が明確になるといった意味でしょうか?

      >「誰かに習えばなんとかなる」のは、初心者の入り口までであって、具体的にそれでお金を儲けるまでに至ることはほぼないと考えます

      これはその通りですね。ちょっとした習い事で、そんなに能力が上がるなら、我が娘にもバンバン習い事をさせたいですw

      >もともと「格差」は潜在的に存在しており、それが(多くは金銭や環境的に)可視化されたに過ぎず、弱者切り捨てではなく、吹きこぼれていた人の救済だとの解釈も可能です。

      ICTによって、もともと存在していた格差が可視化される、という点は賛成です。一方、「吹きこぼれていた人」とは何を指しているのでしょうか?

      >とはいえ、可視化されない方が(特にソフト系の援助関係者は)幸せだったのではないかなぁ、とも感じます

      上記の点もあまりピンとこないのですが、どうして可視化されないほうが幸せ、なのでしょうか?

      >ICTを「手に職(個人のスキル)」ではなく「サイエンス(社会資本のひとつかな?)」として捉える必要はあると思います。

      これは面白い視点ですね。上手く言えないですが、このように今までとは違った視点から考えることが必要な気がします。

  2. その「モヤモヤ感」ってものすごくよくわかります。
    多分、Dの基本的な理解に先進国の崇高な理想を持った「専門家(自称)」の人と受け手となる現地の普通の人々との間にものすごい乖離(それこそ何十万光年くらい離れてて、マリワナ海溝くらい深い・・・)があるんだけど、それに「専門家」も気づいてないからじゃないでしょうか?でも何となく、自分たちが今まで何十年も取り組んできたことが思い通りに進んでないという自覚はあって、なんかおかしいんだけど、それが理解できずにいる・・・でも理解できないとは意地でも言えない!!みたいな・・・
    でも、人間の理解を作るのは環境だから、聞かなければ理解できないのはあたり前だし、話し合わなければどんな理解になっているのかさえわからない。同じデータを前にしてもそれをどう見るか、は人によって違ってくるものです。ICTはこの「差異」を描きだすことができると私は思っています。
    ただ一言に「格差」と言っても、その考えのもとにあるのは「全ての人がその必然性の有る無しに関わらず、貨幣経済に組み込まれ、それを持って評価されなければならない」という全体主義的な考えです。そして誰もそれがエティカルな意味で評価しようとはしない。対象となる人々もそれを黙認するか、黙殺するかどちらかだと思います。
    ICTの一番大きな役割というのは「人々を繋いで、閉塞感から脱出させること」なのではないでしょうか。
    それにしても、こっちの人のFBで繋がってる人数の多さにはびっくりさせられる。最低でも1000人くらいいて、大抵5000人とか・・・

    1. TOSHIさん、コメントありがとうございます。専門家の崇高な理想というのは、「D」に「平等な社会環境の構築」的な要素を含めてしまうということでしょうか?(実際は何らかのインターベンションをすれば、特する人と損する人が生まれちゃうにも関わらず)

      >ただ一言に「格差」と言っても・・・
      というくだりは、「誰が何を基準に平等っていうのか?そもそも、完全な平等なんてありえないじゃん、人それぞれ違うんだから」といったことでしょうか?確かにその通りで、この点はもう哲学チックな感じがしますね。

      >ICTの一番大きな役割というのは「人々を繋いで、閉塞感から脱出させること」なのではないでしょうか。

      こういう発想は自分も好きです。途上国の友人のFBの友達数を見ると、現実的な分かり易いメリットであることは間違いないと思います。

      1. 「「D」に「平等な社会環境の構築」的な要素を含めてしまうということでしょうか?」
        >そもそもD=Developmentそのものにリニアな発展モデル(先進国が先行していて、途上国が追いかけるという図式)があって、いずれも向かう先は同じなんだという根拠のない確信に基づいている。先進国側ではこれに従って「ついて来い!」的な上から目線なんだけど、途上国側はむしろ冷ややかに見ているのではないか?ということです。
        平等についても人は現在自分の置かれている地点を基準にものを見ます。形而学上的なEqualityなのか、もっと実際的な歴史的コンテクストを考慮したEquityなのか。これは二択というよりむしろ緩やかなグラデーションを持ったバランスなのではないでしょうか。

        人々を繋ぐ、というのは単にFBの友達になってやり取りをするっていうことじゃなくて、我々がみんな持ってるものの受け取り方の違いを認識してその溝を埋めていくってことじゃないでしょうか?
        参加型手法の父であるパウロフレイレの言う「ダイアログ」を推進するのにICTほど適したツールはない気がします。

        1. TOSHIさん、遅い返信ですいません。なるほど、よりちゃんと理解出来ました。Developmentのかたちは、確かに国ごと、地域ごとに色んなパターンがあってしかるべきなのに、先進国はどうしても先進国の型にはめようとしてしまう・・・ということですね。個人的には、その型の一つに「平等」ってのもある気がします。さらに言えば、MDGsとかSDGsなんかも、果たして途上国の一般市民は冷ややかな目で見ている、もしくは全く気にしていない、ってな感じかもしれないですね。
          ちょっと話がそれますが、自分はTICAD6の会場であるケニアに行って、お祭り騒ぎを見たときに若干冷めました。アフリカの一般市民はTICADをどう見ているのか?どれだけのお金が会議のために費やされているのか・・・?と。勿論、長い目で見れば、TICADの功績はあると思いますが、個人的には好きになれなかったです。今思うとJICAを辞めるきっかけの一つだった気がします。
          自分のモヤモヤ感と絡めて言うと、ICTの活用で格差が広がることを懸念しているのは先進国の援助関係者だけで、途上国の人達はそんなこと気にしてないのかも。「格差が広がろうが、ボトムアップされているなら良いじゃん、格差が広がることを気にしてモタツクよりもヤレよ!走りながら考えれば?」という感じなのかも。(というか、書いていて、自分自身がそう思っているということに気づきました)
          「人を繋ぐ・・・」ってところは、自分の浅はかな理解を正してもらって良かったです。考え方の違う人同士がコミュニケーションして溝を埋めて行く、というプロセスにおいて、ICTは正に適したツールですね。遠隔医療とか農業ICTとか個別の分野ではなく、「我々がみんな持ってるものの受け取り方の違いを認識してその溝を埋めていく」という大きなテーマでICT4Dを考えてみるのは、とても面白いと思います。新たな気づきをありがとうございました!

          1. TICADに関してはもともとPolitical Theatreだと思っていましたが、安倍首相がIdris Debyと歩いてるのをみて「ああ、こういうことなんだ・・・」と確かに冷めましたね。
            格差に関しては、少なくともアフリカでは格差とはもともと存在するものと考えられているので、「気にする場所を読み間違えてる」のでは?ICTであろうとなかろうと発展に格差の拡大はつきものな気がします。それに歴史的にみてアフリカには共産主義に傾倒した過去を持つ国が少なくないので、そこでドラスティックな「平等」に対する「失望」をすでに経験しているというのもあります。それは富の偏在を推し進めはしても、皆に幸せをもたらす物ではなかった。
            こうしてみると、前々からICT4DはICTと開発だけじゃなく、もっと幅広い人文的分野にまたがるものだとは意識していましたが、文化や人類学、言語学などの共時的なものだけでなく歴史のような通時的なものも大きく影響してるんですね・・・

  3. 「もやもや感」って大事ですよね。
    ここ最近、中国古典とか法令関係(GDPRとか労基法とか)を読む機会が多いのに消化できていないせいか、自分の言葉まで難解かつ混ぜこぜで支離滅裂になっているようで反省しています(苦笑)。

    ●格差と偏在
    tomonaritさんがおっしゃっている通りです。起業家だけではなく、いわゆる「IT人材」についても、その知識や技能の価値をフツーに認めてくれたり、周囲の人から刺激をもらえたり、より高みへ至るキャリアパスやサクセスストーリーが見えてたりする快適な環境(会社とか地域とか)へ集まってしまうものだと感じています。
    さらに、もともと高い能力を持っていた人同士がガンガンぶつかって相乗効果が働き、そこに別の能力を持った人が引き寄せられてしまう、みたいな。
    大学ならスタンフォードとかMIT、会社ならGoogle、地域ならシリコンバレーとかバンガロールとか…陳腐ではありますが、マーケティングで言うところのブランド価値や、社会的な資本(富を外部から引っ張ってくる引力)に相当するものが生まれると思います。それが他の大学や会社や地域から見ると、結果的に「格差」ですよね。

    ●吹きこぼれ
    「吹きこぼれ(浮きこぼれ)」は、「落ちこぼれ」の対義語で、学校用語のようです。
    『高い知能を有していたり、通塾などによって高い学力を身に付けたり、もともと学習意欲が高かったりする、極めて優秀な児童、生徒が、通常の学校の授業内容に物足りなさや疎外感を持ったり、実際に他の生徒から疎外されたりすること』by Wikipedia。
    吹きこぼれも、先にご紹介のあったUNICEFの文章中にあった「closely-knit-society」では、ネガティブに働く個人間の格差のひとつだと思います。また、そのような環境では、目で見える範囲で貨幣価値に換算できない知能や学力は、おしなべて「無駄(別の言葉ではヲタ)」とされてしまい、環境の中に埋没し、ツブされてしまうでしょう。
    吹きこぼれてしまいがちな人たちの救済手段の一つとしても、IT/ICTは機能できると考えます(TOSHIさんの仰る「人々を繋いで、閉塞感から脱出させること」に相当)。ただ、「援助効果」の文脈には乗らないだろうな…と。

    ●可視化されない方が幸せ?
    これは行き過ぎた抽象論でした。自分でもよくわからんこと言ってるよ…。
    私の仕事や生活のなかで、「アテクシがある事象にたいして誤解・偏見・理解不足なのはお前の説明が足りないからだ。だからアテクシは悪くないし、お前が死ぬ気で私に分からせる努力をしない限り、アテクシは全力である事象に対する誤解・偏見・理解不足を保持するぞ (Copy by 三原龍太郎さん)」っていう理論武装をひけらかす他人を相手にする機会が多いせいだと流してやってください(陳謝)。

    1. Ozakiさん、遅い返信ですいません。丁寧な解説、どうもありがとうございます!いやー、面白いですね、こういう話も。そして、どーしてそんなマニアックな文献を読んでるんすか?(笑)
      「格差と偏在」、「吹きこぼれ」(←これ、知らない用語でした。勉強になります)のいずれについても、IT能力に長けている人が、浮いてしまうような環境というのは、あくまでこれまでの日本の状況(敢えて言えば日本の援助業界という環境)であって、既に大きく変わりつつあると感じます。むしろIT分からなかったらビジネスやってけない的な風潮になっていますし、「吹きこぼれ」的な人達の方が「尖っている」という言葉で尊敬されるような世の中の流れじゃないでしょうか。
      さらに、そいう「尖っている」人達の中に、自己の利益よりも社会貢献に価値を置くような若者が増えて来ている気がします。日本にして世界にしても。そして、そういう今時のイケてる若者達は、ODAとか援助とかを「あっちの方で何かやってるね」、「正直、どーでも良いわ・・・」と、自分達のやりたい方法で社会貢献をしているんじゃないかなぁ・・・、というのが私の見解です。
      TOSHIさんへの返信にも書いたように、上から目線で「ICTは格差を拡げる」論を言っているのは、先進国の援助関係者かアカデミックな研究者だけじゃないか?というのが、自分のモヤモヤ感の原因なのかもしれないと、Ozakiさん、TOSHIさんとのやりとりの中で感じつつあります。

  4. TOSHIさん、コメントありがとうございました。ICTの影響力ってかなり幅広いので、面白いんだと思います。汎用技術ならではの世の中を変える力をどう使うかか?は明確な答えのない問いだからこそ、考えるのが面白いですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください