こんにちは、狩野(Kanot)です。皆さんデジタル植民地主義という言葉を聞いたことがあるでしょうか?アフリカなどのグローバルサウス(開発途上国)に、グローバルノース(先進国)のソフトウェアやサービスが入ることで、経済的に支配されてしまうことや現地の価値観や文化が壊されてしまうことを懸念した言葉です。
最近AI倫理の議論が挙がる中で、よくこの問題にぶつかるので、以下の記事を参考に、私の私見も交えつつデジタル植民地主義とアフリカのローカル思想「Ubuntu」について解説したいと思います。

植民地主義とは
デジタルの前に、まず、植民地主義から始めましょう。アフリカ・中南米・アジアの多くの国は、歴史的に欧米から植民地支配を受け、もともとあった文化・言語・宗教が欧米のものに上書きされていきました。
例えば、中南米はほとんどでスペイン語が共通語になっていたり、アフリカも大きく英語・フランス語・ポルトガル語が共通語になっています。これは欧米諸国が支配しやすいように植民地時代に言語をコントロールしたことの影響が今も続いているということなのですが、植民地支配の過程で多くの文化・民族・言語が壊されてきました。
日本も例外ではなく、第二次世界大戦後には憲法をはじめアメリカの影響を大きく受けた政策が取られ、現在の我々の価値観に多大なる影響を与えています。
デジタル植民地主義とは
世界を見渡すと、第二次世界大戦後には多くの国が独立し、植民地主義は脱しつつあるかのように見えています。しかし、21世紀に入り、デジタルのサービスやソフトウェアの開発が欧米や中国を中心に進む中で、新しい形の植民地主義、いわゆるデジタル植民地主義が問題になってきています。
一般的にデジタル植民地主義というと、GAFAM(アメリカの大手IT企業の総称)を中心とした会社に経済・データ面で支配され、搾取されることを指すことが多いです。日本もその例外ではなく、多くの政府や自治体がGoogle Cloud、Microsoft Azure、Amazon Web Serviceなどを使っており、データの主権を奪われつつある状況であり、多くの利用料を米国企業に支払い、多大なデータを渡している状況です。
これらの課題はもちろん深刻なのですが、既に多くの人が論じている問題でもあり、今回の記事では、特に文化面に焦点を当てた狭義のデジタル植民地主義に絞って深掘りしていきます。
文化面でのデジタル植民地主義の脅威
文化面でのデジタル植民地主義の脅威とは何を指すのでしょうか?例えば、コミュニケーション、合意形成、意思決定などは文化の要素を多分に含んでいます。日本と欧米の違いに関する具体的な例を挙げると、合議よりもトップダウンを優先する意思決定、湾曲的より直接的な意見の伝え方などです。
そのため、欧米企業がWebサービスやシステムを構築する場合、どうしても個人主義や直接的なコミュニケーション文化に基づいた設計になってしまいます。そしてFacebook, Instagram, TikTokなどを使っているうちに、自然と考え方や価値観が特定の文化に基づいたものに近づいてしまうという危険性を含んでいます。
特にIT分野はその傾向が顕著で、シリコンバレーを成功モデルとした起業家支援が世界中で行われており、この失敗を恐れない考え方、一攫千金を目指す考え方、Tシャツ&ジーパンでビジネスする、などは非常にアメリカ的な文化を反映しています。
また、欧米で使われる医療助言システムなどをグローバルサウスで取り入れた場合を想像すると、おそらく西洋医学をもとにした助言や情報が重要視される可能性は高く、(あまり科学的ではないかもしれないが、地域で活用されてきた)伝統医療などについての信頼や情報が壊されていってしまう可能性があります。
Ubuntuを取り入れたデジタル化とは?
このような欧米的な価値観とは異なるアフリカ独自の思想として、サハラ砂漠以南のアフリカ(特に南部アフリカ)には「Ubuntu」という価値観があります。Ubuntuはコミュニティや相互敬意を大事にし、個人の成功よりも全体的な幸福に重きをおく考え方です。これは利益重視、個人主義に基づいた欧米的価値観とは大きく異なるものです。
では、欧米からの支配を避け、こういったUbuntu精神をアフリカのデジタル開発に取り込むことは可能なのでしょうか?冒頭で挙げた記事によると、以下のような方策が考えられるとのことでした。
- 参加型のデザイン:現地の住民をシステム設計に巻き込み、現地固有の考え方などを取り入れていくことで、アフリカの文化を反映したシステム設計にしていく。
- オープンソース:ソースを公開することにより、各国や各地域で自分たちの文化に基づいてカスタマイズすることが可能になる。(UbuntuというオープソースのOSがあるが、この名前はUbuntu思想から取られている。)
- ITにおける文化的知性:エンジニアやデザイナーを育てるときに、文化的知性や現地固有の文化の重要性を教育することにより、その土地にあった形でのシステム設計が可能になる。
既に、ケニアのiHubやナイジェリアのCo-Creation Hubなどのイノベーションハブでは、Ubuntuのようなローカルな価値観やコミュニティを大事にしたビジネス創出が行われているとのことです。
文化に根ざしたデジタル化の課題
こういった現地の価値観をもとにデジタルを取り入れていくことは良い方向なのですが、課題も多いようです。例えば、オープンソースにすることで現地向けにカスタマイズできることと、そのカスタマイズができる人材を確保することには大きな隔たりがあります。そのため、いくら環境が整っていても、高度人材が不足しているため、結局先進国の助言やサポートを受けたシステム導入となってしまうことも多いようです。
また、現地のコミュニティに根ざした人材登用と縁故採用の違いも曖昧なもので、そういった縁故がはびこる環境はイノベーションを阻害するとも指摘されています。
まとめ
私は以前から、GAFAMに支配されないためのキーワードの一つとして「ローカル化」は外せないと主張してきましたが、このUbuntuに基づいたシステム化というのも、その考え方に非常に近しいものと感じました。
日本においても、最近スタートアップ界隈は盛り上がりを見せてはいますが、シリコンバレースタイルの起業モデルというのは、根本的に日本人の武士道精神というか近江商人精神というか本田宗一郎精神というか、そういった日本に根付く経営哲学や価値観とはあまり相性は良くないと感じています。
欧米からの文化的・経済的なデジタル植民地支配を避け、日本らしい、アフリカらしいビジネスモデルが「ローカル化」によって生まれてくることを願ってやみません。
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