デジタル植民地主義についての論文をまとめてみた

アカデミック

こんにちは、狩野です。以前「デジタル植民地主義にどう立ち向かうか」という記事を書きました。これは主に私の経験や主観を中心に述べさせていただいたものです。一方、学術分野でこの問題がどのように議論されているのかを調べる機会があり、今回は学術論文を中心にした「デジタル植民地主義」を紹介していきたいと思います。


導入:利用規約とスペイン植民地支配の共通点

普段の生活で新しいアプリやサービスを利用する時に同意する「利用規約」、きちんと読んでいますか?

ザーッと読まずにスクロールして、同意ボタンを押していませんか?

おそらく利用規約をきちんと読んでる人は皆無なのではと思います。なぜなら、利用規約は相手に内容を理解させるためではなく、同意させて責任を回避するという企業側の都合で作られているからです。

つまり、後からトラブルが起きた時に「いやいや、利用規約に書いてありますよ。同意したじゃないですか?」と企業が自衛できるためのもので、ユーザー側に配慮されているとはとても思えないUIになっています。

さて、話は変わって16世紀。スペインの征服者が中南米の先住民に一方的な支配を宣告した「レケリミエント」という文書をご存知でしょうか?スペイン語を理解しない原住民に対して一方的に読み上げ、何も反論しなければ承認したことに、拒否すれば武力で制圧されるという、スペイン側が「きちんと伝えた」という大義名分を得るためだけの非人道的な宣言です。

この2つの事例(現代の「利用規約」と、支配の儀式「レケリミエント」)、なんか似てませんか?

どちらも、力を持つ側を守るために一方的な宣言をして、相手に同意を強要しているという構図です。

このような、私たちの生活の裏側で起きている、強者による支配の仕組みである「デジタル植民地主義」を、学術文献から読み解いていきたいと思います。

1. デジタル植民地主義とは

外国企業が作った「便利な高速道路」の罠

架空の高速道路プロジェクトの話をします。

とある国に、外資企業が最新の高速道路を作りました。このプロジェクトにより、移動がとても効率化されて便利になりました。一方、その道路の建設も、料金所の運営も、料金システムの決定も、全てその企業が行う権利を持っています。

開通最初は「無料」や「生活を豊かに」という、開発や包摂を掲げる善意の言葉と共に運行が開始されます。しばらくすると、地域社会に変化が現れます。まず、人々が高速道路の便利さに慣れ、これまでの獣道に戻りたくなくなります。次に、道中にあった店やレストランにお客が来なくなり、潰れる店が出てきます。次に路線バスなど、開通前に主要な交通手段だった会社が採算取れずに撤退していきます。

このように競合の淘汰が終わると、高速道路会社は料金を徐々に上げ始めます。住民は悲鳴を上げ始めますが、もう以前の交通手段には戻れません。便利さを知ってしまったこともありますし、道中のお店や別の交通手段がもうなくなってしまったからです。

プロジェクトの結果、確かに移動は早く便利になりました。しかし、その利用者が払う料金はほぼ全て外国企業に流れていきます。これまでは移動途中にあったレストランや、ローカルバスに流れていたお金がほぼ全て国外に出てしまうことになります。このように、外国企業に依存する体制ができあがります

今回はわかりやすくするために高速道路の例を挙げましたが、このような事例が、サービス、クラウド、海底ケーブル、データセンターといった巨大なインフラでも起きています

これらの根本的な問題は、現地社会への還元がごくわずかであることです。一度導入してしまうと他のものに乗り換えられない「ロックイン」が生じ、インフラへの依存が支配へと直結します。これが「デジタル植民地主義」の一つの形です。

「格差」ではなく「依存」:デジタルデバイドとの決定的な違い

国際開発の世界ではこれまで「デジタルデバイド(デジタル格差)」という言葉で先進国と途上国などの通信格差などが論じられてきました。このデジタルデバイドとデジタル植民地主義はどう違うのでしょうか?

確かに両方とも、先進国と途上国に関するデジタル関連の格差についての言葉です。しかし、大きな違いはそこに含まれる意味合いです。

デジタルデバイドは、「いつかそれを埋めていこう」という期待感、つまり遅れている側もいつかは追いつけるという楽観的な響きを持っていました。

しかし、デジタル植民地主義は違う形の未来を示します。それは単なる遅れではなく、技術の導入そのものが、依存と搾取を持続させてしまうメカニズムになっていることを指しています。ここには悲観的なニュアンスが多分に含まれることになります。

データの重要性と生成AI

外国企業がインフラの支配を狙う真の目的は、そこに流れる「データ」を手に入れることです。

かつての植民地が狙われたのは石油などの資源でした。現代では「データは現代の石油である」と言われることがあります。

IT企業たちは、私たちの行動、感情、社会的な繋がりといったデータを、まるで自然界に最初からある「天然資源」のように扱いますが、これはかつての植民地が「主人のいない土地(テラ・ヌリウス)」として奪われたのと同じ理屈です。つまり、あたかも価値のないものに見せかけて、「利用規約」を通して奪っていくというプロセスがあります。先進国の企業はこれらを「データ排気ガス」と呼ぶことで、価値がないように見せかけて取得の正当化をカモフラージュしています。

ではデータを集めることが、なぜそんなに重要なのでしょうか?

その答えは、生成AIをはじめとするビッグデータの重要性にあります。生成AIなどは、学習データと呼ばれるデータを吸収することでより賢くなります。つまり、より良い学習のためには、より多くの生活データを収集し続けなければならないのです。

3つの支配の柱:ソフト・ハード・ネットワーク

企業が途上国を支配していく領域としては、デジタル世界の「三つのレイヤー」全てが支配される構造になっていると指摘されています。

  1. ソフトウェア ほとんどのIT企業は知財の関係からソフトウェアのソースコードは非公開です。つまり、ユーザーが中身を確認したり検証することはできません。ユーザーは企業の決めたルールや情報をただただ信じるしかありません。
  2. ハードウェア 以前はユーザの手元にあった処理能力やデータが、今は巨大企業のサーバー群(クラウド)に移りつつあります。最近のスマホやPCは、計算機というよりは通信をして画面を表示するデバイスのようになっており、クラウド上で動くサービスの主導権はユーザにはありません。
  3. ネットワーク 通信の入り口を握ることで、特定のサービスを優先したり、情報を操作したりすることが可能になります。

「データの国内保存義務(データ・ローカライゼーション)」などの政策もありますが、それだけでは不十分です。物理的なハードディスクが国内にあっても、動かしているOSやAIモデル、ライセンスのすべてを欧米企業が支配しているからです。例えばですが、いくらデータセンターを国内に作っても、Windowsで動いていればMicrosoftの影響は常に受け続けることになります。

また、これは単なる「欧米 vs グローバルサウス」の構図ではありません。中国企業によるアフリカへの莫大な投資など、多極的な支配も進んでいます。

2. 具体的なケーススタディ

監視資本主義と「データダブル」

テック企業は、あなた自身も知らないあなたの行動パターンを把握しています。収集されたデータから作られるデータダブル(データの分身)は、あなた以上にあなたのことを知っており、アルゴリズムによる選別や、行動を操作されるリスクを生んでいます。

想像してみて欲しいのですが、あなたの過去の検索履歴や生成AIへの相談事項、そしてSNSのアクセスログを全て把握していたら、あなたの次のアクションを予想するのは、あなた自身より正確な可能性、ありますよね。

この技術を活用して、国が国民の監視に活用したり、企業がユーザの行動をコントロールするという監視資本主義が起きています

南アフリカの「Operation Phakisa」

このプロジェクトは南アフリカにある26,000校の公立校にタブレットやPCを配布する教育プロジェクトです。一見、「教育の平等を推進するプロジェクト」に見えます。

しかし、このプロジェクトで問題になったのは、アメリカの技術を全面的に取り入れる計画になっていたこと。そして、プロジェクトを通じて大量のデータが収集されていたことです。

確かにGoogleやMicrosoftのサービスを全面的に活用した教育サービスは短期的な教育としては効果的かもしれません。しかし、その環境で教育を受けた学生たちは、それらプロダクトを自分で作っていくクリエイティブな人材になるでしょうか?

本来であれば、自分たちで未だ無いサービスを作っていくことで国を強くしていくはずが、子供の頃からアメリカのサービスに浸ることで、それらを所与とした「ユーザ」としてのマインドセットが醸成されてしまうというリスクがあります。

つまり、誰のテクノロジーを、どのような条件で導入するかが問題です。特定のエコシステムで学ぶことは将来の「経路依存性」を生み、自国独自のツールを開発する能力を奪い、デジタル帝国の「臣民」を育成することに繋がります

ウーバー(Uber)の支配モデル

海外出張の多い方は、ウーバーの便利さはよくご存知ですよね。ボラれる心配の少ないサービスで移動の安心感を高めることに貢献しています。

一方、文献で指摘されていたのは、その初期導入の手口です。Uberはシリコンバレーの莫大の資金力を使い、格安な料金設定で市場に参入します。赤字前提の相場よりはるかに安い料金設定をするため、既存のタクシー業者はどんどん駆逐されていきます。

そして、市場が独占状態に近くなったところで、通常料金に戻して利益を上げているそうです。特に、非常に高い手数料が問題となっており、ドライバーが稼いだ金額の25%がUberに吸い上げられているそうです。

これはまさに現地の労働者の富を外国へ流出させる構造になっています。

フェイスブックの「Free Basics」

貧困層向けに特定のサイト(この場合はFacebook)だけを無料にするサービスは、一見「慈善事業」に見えますが、実際は情報の入り口を独占し、将来的にユーザを囲い込む手口だと言われています。

Metaのマーク・ザッカーバーグはInternet.orgなどで慈善事業的に世界のインターネット普及を推進していますが、おそらく本人の中でも「将来的な顧客囲い込み」と、「人権としてのインターネット」、つまりビジネスマンとしての顔と慈善事業家の顔、両方が同時に存在しているのだろうなと思います。これらの活動を通じて、短期的には生活を改善しても、長期的には特定のプラットフォームなしでは生きられない状況を作り出します

ミャンマーではFacebookによる独占が起きたことで、ロヒンギャに対する憎悪や暴力が拡散されることになったということもよく知られています。

優秀なAIの裏にある「ラベル付け労働」

AIを使った検索や画像生成、なかなかに優秀ですよね。その結果の中に卑猥な画像や暴力的な画像が出てきたことはありますか?おそらくないのではと思うのですが、これはAIが不適切な画像を自動的に判断できているからなのでしょうか?

残念ながら、AIそのものに「不適切」な画像を判断する能力はありません。人間が一つ一つ画像を見ながら「適切」「不適切」のラベル付けを行い、それを大量に学習させることで、AIが「不適切」な画像かどうかを判断することができるようになっています。

では、そのラベル付けを誰がしているのか。ケニアなどアフリカの企業がアメリカからアウトソーシングを受けて実施しています。大量の画像を見せられ「適切」「不適切」と振り分けていくこの仕事は、低賃金労働として行われいてるにも関わらず、精神的なトラウマを抱えて退職する事例が後を経たない危険な仕事だと言われています。

このように、シリコンバレーの美しいテック世界の裏で、精神的負担の多い低賃金労働がアフリカで強いられている構造は、まさに現代の「デジタル労働の植民地」ではないでしょうか

3. 私たちが取るべき対応策

これまで挙げてきたように、デジタル経済には多くの問題があります。では、なぜ途上国政府は手を打たないのでしょうか。その裏には、現地の仲介者の存在があると言われています。国内の政治エリートや有力者が、外国企業と手を結ぶことで自らの利益や監視権力を得ている「共犯関係」があります。

インドの「Aadhaar」のように、福祉や効率化の名の下に行われる生体認証の収集が、結果として国民の管理や排除の技術として機能してしまうこともあります。

脱植民地化へのアクション

デジタル技術の恩恵を否定する必要はありませんが、一歩引いてシステム全体を批判的に見る視点が不可欠です。以下は、文献にて挙げられていた、脱植民地化に向けて取れる対策です。

  1. 先住民族データ主権とCARE原則 西洋的な法律ではデータは「個人の所有物」ですが、CARE原則と呼ばれるデータガバナンスを適用すると、データをコミュニティの利益や自己決定権と結びつけて扱います。この原則を適用すると、データ収集前から、それが集団にとって利益になるかを審査する権利を取り戻す試みです。
    このような原則を用いないと、個人に対する「利用規約」でどんどん同意を得ていくということができてしまいます。
  2. フリーソフトウェアの活用 ユーザーがコードを実行・研究・修正・共有できる自由を取り戻すことは、企業の独占を防ぎ、説明可能な技術適用に向けた活動に繋がります。ただし、これまでかず多くのフリーウェアやオープンソースのプロジェクトがありましたが、マジョリティまで上り詰めた事例はあまり多くありません。
  3. 分散型ネットワーク すべてを巨大企業のクラウドに任せるのではなく、家庭用の小型サーバーなどで自らのデータを管理する技術を導入します。ブロックチェーンなどの分散技術も、こういった企業による寡占への抵抗感から生まれたものであると感じます。
  4. 共有財産としての知識 知識を一部の企業が独占する知的財産制度を避け、人類の共有財産としていく視点が必要です。

デジタル経済の世界では、「包摂」と「支配」は同時に起きます。「包摂」の名の下に普及を広げて行った結果、特定の国や企業による「支配」に繋がってしまうとうことです。便利さの裏側にある監視や依存に自覚的になること。それが、デジタル時代における「認識論的脱植民地化」への第一歩です。


4. まとめと主要参照文献

いかがでしたでしょうか。学術論文を中心に取り上げたので、ちょっとわかりにくいものが多かったかもしれません。しかし、本質を理解するという点でとてもよい頭の整理になりました。

主に参考にしたのは以下の2つの論文です。どちらも1,000件以上引用されていますので、代表的な論文と言えるかなと思います。なお、これらの論文ではDigital ColonialismとData Colonialismという異なる言葉で表されてますが、どちらも本質的には一緒かなと思いましたので、今回のブログ記事ではどちらも「デジタル植民地主義」と呼んでいます。

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