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バングラデシュから日本へ
ここから舞台の中心は一旦、日本に移る。話は少し遡り、ITEEコンテストが終わった2010年11月、IT隊員の一人である雨宮さんは一時帰国のタイミングで、日本におけるIT国家資格試験である情報処理技術者試験の実施機関であるIPAを訪問し、ITEEコンテストの報告をしていた。
庄子さん・雨宮さんと2度にわたるバングラデシュの協力隊員からのITEE導入に向けた報告を受けたIPAであったが、IT人材育成本部の小川健司本部長補佐は当時の心境として、「実は正直なところ、バングラデシュのIT分野でのポテンシャルも分からず、どうしたらよいのか対応に困っていた」と振り返る。というのも、IT隊員たちの熱意は確かに伝わってきて、サポートしてあげたいとは思ってはいたものの、そのプロジェクトの実施主体となるであろうJICAからは、プロジェクトを立ち上げる動きは見えなかった。「協力隊員は報告に来るものの、JICA本部はどう考えているのだろう?予算をつけるつもりはあるのだろうか?」もしJICAとして動かす気がないのであれば、経済産業省やIPAだけで動ける話ではない。IPA内でも、参加国を増やすことはいいことだという前向きな意見と、現在の6か国の対応でも業務負荷が十分高いという意見もあり、話を進めることに賛否両論があった。
力と意欲を持て余したIT隊員たちは、2011年2月のBASIS主催のSoft ExpoでITEEコンテストの結果をまとめた冊子を配ったり、ミニテストを行った様子を動画形式にして上映したりと、隊員活動の範囲内で地道な努力を続けていた。Soft ExpoのJICAブースには、大臣も来訪するなど、バングラデシュ側では機運が確実に高まっていたが、現地でコンテストも成功裏に収めたあと、さらに何をどう動かせばその次のステージである技術協力プロジェクトに進めるのか、関係者一同、次に何をすればいいのかわからない時期でもあった。JICAバングラデシュ事務所の池田敬ボランティア調整員は当時を振り返り、「JICA事務所では、日本側に現地の盛り上がりが伝わらず、どうしたらいいのか悩んでいた。JICAがITEEの推進に2011年度には予算をつけられないという判断をし、その旨を経済産業省に伝えた際には苦言を呈された。『隊員の言っている話とJICAの行動が伴っていないのはどういうことだ?』という指摘であった」とその頃の苦労を振り返っている。
もちろん、JICA本部、特に協力隊員の活動を管理している青年海外協力隊事務局には定期的に報告をあげており、池田調整員によると「我々がかなり騒いでいたので、少しずつ本来要請された活動外ではあるITEE関連活動も認めてもらえるようになった」とのことで、本部の支援も徐々に得られるようになっていた。また、本件の今後の進め方に関する青年海外協力隊事務局の担当者との会議にIT隊員たちに参加してもらい、直接声を届けもした。一方で、協力隊員の活動の枠を超えて二国間の政府事業となる技術協力プロジェクトの企画を隊員が主導することは、ほとんど前例もなかったこともあり、JICA本部でもどこまで活動を後押しするべきか決めあぐねていたようでもあった。このように、日本側とバングラデシュ側でやや温度感に差がある中、前章で述べたとおりバングラデシュ政府から2度目の技術協力プロジェクトの要請書が日本政府に提出される。
バングラデシュ政府から要請書が提出された頃、私はJICA本部の課題部の一つである経済基盤開発部(当時)でIT案件の担当職員をしていた。その私のところにバングラデシュ事務所から電話がかかってくるところから、バングラデシュへの国家資格試験導入というバトンを私が受け取ることに・・・・
続きは書籍にてお楽しみください。
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経済産業省・IPAと共に調査・出張へ
技術協力プロジェクトの実施締結へ向けて
そして舞台はバングラデシュへ
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