蚊が絵文字に!ハイコンテクストなコミュニケーションがICT4Dを促進する

 

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Source: https://emojipedia.org/mosquito/

ども、3月27日のイベントに向け準備中のTomonaritです。ちょっと前に面白い記事を見つけたので、忘れぬうちに思ったことを書いてみます。

Discovery Channel に「ビル・ゲイツも推し進める蚊の絵文字、公衆衛生の救世主なるか」という記事が。英語だと「Will a New Mosquito Emoji Create Some Buzz About Insect-borne Diseases?」という別の記事もありました。

何かというと、2018年に「蚊」の絵文字がユニコードに加わるそうです。そして、それを推し進めていた人物の1人はあのビル・ゲイツ氏。蚊が媒体となる病気は、マラリアやデング熱など沢山あり、蚊が絵文字で使われることで、公衆衛生の改善に大きく貢献することが期待出来るという。なるほどー。結構納得、そして今後に期待感が持てました。

「今後の期待感」といった背景には、ちょっと関連する(と自分は思う)内容を「ITビジネスの原理」(尾原 和啓 著)で読んだから。尾原氏によると、日本は「ハイコンテクスト」な国、例えばアメリカは「ローコンテクスト」の国としています。日本人はお互いに共通認識(言語、文化、常識など)が根底にあり、その前提に立って微妙なコミュニケーションを楽しみむことが出来る(=ハイコンテクスト)。一方、アメリカには共通認識がないため、阿吽の呼吸的なコミュニケーションは出来ない(=ローコンテクスト)。そして、この違いがインターネット上にも表れていて、例えば、絵文字の種類は日本の方が外国より多いとか、LINEが日本で爆発的にヒットしたの微妙な感情の機微を表現したスタンプがあったから、という分析をしている。うーむ、納得。確かに、外国人とメールやりとりしていて、この手の絵文字(→『(*´∀`*)ポッ (*´σー`)エヘヘ (*´д`*)ハァハァ 』)は見た事ない(まぁ、自分も日本語でもあんまり使わないけど…)。せいぜい、こんなのだ→『:)』。また、絵文字もあるけど、LINEのスタンプのようなバラエティー(いじけてる感じとか、はにかんでる感じとか、)はなく、結構、ストレートな感情表現になってるやつばかりな気がする。

そして、そんなハイコンテクストなやり取りを楽しめる日本人でも、外国人とやりとりするときには英語を使う事になり、それ故に「ローコンテクスト」になってしまうという。確かに、外国人相手では「阿吽の呼吸」は期待出来ないし、英語という外国語でコミュニケーションするため、こちら側も「これで間違っていないかな?」と考えたりして、ツーカーのやり取りは出来ない。

しかし、上記のような英語を「共通語」としたやりとりが、だんだんと「多言語化」しており、今や英語はインターネット上で一番使われている言語とは必ずしも言えないという。確かに、我が家の奥さん(エチオピア人)はアムハラ語でFacebookとかメッセージアプリを使っているし、ローカル言語に対応したサービスが拡大しているのは肌で感じる。

そして、さらに今後は、「多言語化」から「非言語化」への動きがあるという。尾原氏の本では「Pinterest」という写真や動画を共有するアプリが例示として使われているけど、個人的には「インスタ」の方がピンとくる人が多いかと思う。もう文字は不要で、画像や映像があればコミュニケーションで出来る、というかその方がハイコンテクストなコミュニケーションが可能になる!ということ。言葉が通じない相手とも、「あー、この人のアップする写真って、俺の趣味と合うなぁ〜」的な感じで、その人とは言葉なしに「阿吽の呼吸」的やりとりが可能になるのだろう。自分にはまだその経験はないけれど、そういう可能性は理解出来る。また、この本では、ナイキやスタバのロゴから英語表記がなくなったりしている点も例示として取り上げられており、説得感がある。個人的には、IKEAの組み立て家具の説明書は被言語化の好事例かと思ったり。

で、どうしてICT4Dと関連するのか?というと、これまでさんざん指摘されてきた言語能力(まずは現地語、次に英語)がないとインターネットの恩恵を受けれないという点が、変わって来ると言えるから。勿論、依然として言葉は大事であり、ドラスティックには変わらないけど、言葉の変わりに絵文字やスタンプで理解したりすることで、言葉が出来ない人達でもインターネットの恩恵を受けられる割合はぐんと上がって来ると言える。

今回の蚊の絵文字についても、そんな動きの一端なんだと思うと、今後もっと色々な形で非言語化による途上国開発への効果がありえると期待が出来る!と思ったのでした。

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コメント

  1. Ozaki Yuji より:

    3月27日のイベントのメンツ、仕組みも現場も知っている強そうな人ばかりですね(笑)。

    画像や映像については、撮影者ではなく、媒体や編集者の恣意的な意図が込められている場合は(並べ方やキャプションを含めて)読み方に注意を要する、みたいなところは所謂メディアリテラシーの範疇ですね。これは今も昔も変わらないでしょう。
    参考:写真のワナ(新藤健一 著)
    http://amzn.asia/2Eyzlx2

    tomonaritさんの文章で、『言葉が通じない相手とも、「あー、この人のアップする写真って、俺の趣味と合うなぁ〜」的な感じで、その人とは言葉なしに「阿吽の呼吸」的やりとりが可能になるのだろう。』は、コマーシャルがだいぶ入り込んだピンタレストやインスタグラムより、趣味性の強いFlickrやFotoblur、500pxなどで、ほんの一欠片でも好みや志向に類似性がある人たちとのやり取りを経験すると確かにその通りだと感じます。お互いの理解に想像がつくので、マジに文法的な負担が少なくてコミュニケーションがラクです。
    その反作用として、傍目から見ると(単語が少ないコミュニケーションなので)めっちゃハイコンテクストかつ排他的に感じられてしまうようです。また、いわゆる「いいね!」とかフォロワー収集のために営業活動やっているような人はすぐに見抜けてしまうような潜在的排他性もあります。感覚的であって理屈じゃないからかなり作用は強い(苦笑)。

  2. TOSHI より:

    面白いですね。私も言語と文化については非常に興味があるのですが、これってめちゃ奥深い話でPerceptionとその情報処理がどのように行われているのかを考えていくとどんどん深みにはまってしまうという・・・まあ、それは置いておくとして、画像も一種の言語です!!
    記号の集まりとしてこれほど奥深い言語はないってくらいに言語だと思っています。ただ、極めて「ハイコンテクスト」です。そして、このコンテクストに頼ったコミュニケーションは大きな誤解の元になる危険性をはらんでいることを認識すべきだと思います。
    ここでよく目にするのは、WhatsAppで自分の声を録音して送るというコミュニケーション方法です。これって目からウロコだったんですけど、要するに私たちはリテラシーというものをあまりに自分勝手に理解しているし、言語が文字でなければならないという誤った常識にとらわれ過ぎているのではないかと・・・
    この分野ってICT4Dにとってもものすごく重要じゃないのかな?と。SiriやAlexa、そしてGoogleもありますし、これらのサービスが途上国でどのようなインプリメンテーションをできるのか?興味深いですね。

  3. tomonarit より:

    Ozakiさん、Toshiさん、コメントありがとうございます!(そして遅いレスですいません…)「画像も一種の言語」という一言は分かり易いですね。とても。そして、恣意的な意図が込められていたり、誤解があったり…というのはお二人ともご指摘の通りだと思います。インターネットを使いこなすために情報リテラシーが必要というのと同様に、画像のコミュニケーションにおいても、それなりのリテラシーが求められるというか。
    自分としては、どこまでハイコンテクストな世界が広がるか?にとても関心があります。先日、世界一短い手紙はヴィクトル・ユーゴーが自分の本の売れ行きを尋ねるために編集者に送った「?」というクエッションマークのみの手紙で、その返信は「!」というビックリマークだけの手紙だったそうです。この話、先日、「恋は雨上がりのように」を見てしりました。結構、深夜アニメみちゃうんですよね(笑)
    その昔から、信頼関係や共通認識がある人同士は極めてハイコンテクストなコミュニケーションをしていた例ですね。このような友人や家族など少数でのやりとりでなく、インターネットという世界がどこまでハイコンテクスト化するのか?次第で、それこそ世界共通言語(ある意味、絵文字はその1つか)が生まれるかもしれないと思うと、ワクワクします。
    一方、そんな風になる必要はなく、Toshiさんのいうように音声データでやり取りするとか、動画でやり取りするってのも、一つの方向性ですね。どっちに進むのか?
    親しい人には手間ひまかけて動画を送り、不特定多数向けには省エネで共通言語化した絵文字や画像を使う、今までの流れとは逆にふれる…なんて可能性も考えてしまいます。また関連する話題があれば、書いていきたいです。

  4. […] 以前の投稿で、ハイコンテクストなコミュニケーションについて触れていますが、あまりにハイコンテクストなコミュニケーション(文章を必要としない)が浸透し過ぎるのも、読解力を低下させることになるのかも…と感じました。 […]

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