第3章:IT国家資格導入プロジェクト

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技術協力プロジェクト開始

ついにJICAの技術協力プロジェクト「ITEEマネジメント能力向上プロジェクト(2012年12月〜2015年12月)(以下、ITEEプロジェクト)」が始まった。プロジェクトの目標は、「ITEEをバングラデシュのIT国家試験として構築し、持続的かつ適切に運営される体制が整う」ことであり、その目標を元に達成すべき成果として整理したものが以下の3点であった。

・成果1:試験実施機関(BCC)のITEE運営能力が向上する。
・成果2:ITEE実施の環境が整う(ICT関係者による認知・産官学による連携体制)。
・成果3:ITEE試験制度が整備される。

日本側のプロジェクトの体制は、直営の長期専門家2名(チーフ・アドバイザー、業務調整)を中心として、必要に応じて適宜コンサルタントや出張者を招聘する形でプロジェクトを進めていくことになった。プロジェクトを直営の体制としたのは、本プロジェクトの内容が日本(経済産業省、IPA等)とバングラデシュ(先方政府、IT業界団体等)で密に連携しながら、IT国家資格を導入することと、ITEEの相互認証機関であるITプロフェッショナル試験協議会(以下、ITPEC)への加盟を同時に目指すということであったため、この時点では活動内容が見通せない点も多く、フレキシブルに対応できる体制で進めるためであった。

チーフ・アドバイザーとして着任したのは保谷秀雄さん。PhilNITSというフィリピンでITEEを推進する団体での経験もあり、2011年12月のバングラデシュのIT産業に関する基礎情報収集調査を実施するなどバングラデシュでの経験もあったため、その実績を買われ、経済産業省推薦という形でチーフ・アドバイザーに就任した。

保谷さんは、基礎情報収集調査時の感触から、バングラデシュのIT産業の可能性を感じていたこともあり、オファーが来た際には快諾した。ただし、基礎情報収集調査の際に他の調査団員と同様に体調を崩していたこともあり、体力面での心配は正直あったと本人は振り返っている。業務調整専門家には庄子明大さんが公募にて選ばれた。これまでの青年海外協力隊によるIT人材育成ムーブメントの火付け役であった庄子さんは、帰国後に民間企業で働いていたが、ITEEプロジェクトの専門家(業務調整)が公募で出ると聞いた際には、バングラデシュに残してきた思いに再び火が付く自分を止められず、迷わず応募した。しかし、庄子さんはベンガル語には堪能だったのだが、英語がJICAの設定するTOEIC基準点に達していなかっため、結果は条件付き合格。

結局その後、複数回の受験を経て基準点に到達、それに伴い派遣時期とプロジェクト開始が後ろ倒しになるなど、ドタバタなプロジェクト立ち上げ期であった。

そして、当時のJICAバングラデシュ事務所での担当所員が、2012年8月より赴任していた私であった。自分が本部で立ち上げた案件を現地でも担当するという不思議なご縁で、富田洋行次長、私、そして現地スタッフのジャヒド所員の3名がJICA事務所側の体制であった。そして、ITEEプロジェクトは、私のJICAでの10年での業務経験でただ一つ、案件形成から案件完了まで一貫して本部・事務所と異動しながらも担当できたプロジェクトとなり、私にとっても最も思い出深いプロジェクトとなることになる。

さて、2012年12月にITEEプロジェクトがようやく開始されたわけであるが、まずプロジェクト前半における当面の大きな目標は、2013年10月と2014年4月の2回のトライアル試験(ITEEを実施している他加盟国と同タイミングで試験を行い、実施能力を試すもの)を成功裏に終わらせて、ITPECに正式加盟するための準備を進めることであった。つまり、ITPECへの加盟を持ってバングラデシュのITEEが他アジア諸国と相互認証できる資格として正式に認められるわけである。

しかし、開始早々で肩透かしに会う。実施機関であるBCCの体制が整わず、現場の管理者となるプロジェクト・マネージャー(PM)としては、首相府から出向でBCCに来ていたロビウル・イスラムさんが配置されたものの、バングラデシュ側の全体責任者にあたるプロジェクト・ダイレクター(PD)がアサインされていないのである。それどころか、JICA専門家用のオフィスも机もBCC内に用意されていない状況であった。これは専門家の着任時期とプロジェクト開始時期をBCCに伝えたまま、状況確認を怠った私のミスでもあり、大いに反省した。

その煽りを受けた保谷専門家・庄子専門家は、まずはオフィスと机の確保から、そしてPDアサインに向けて交渉を進めることから活動を開始した。最初は執務室もなく、同じくBCCに配属になっていたJICAのシニア海外ボランティアである神野俊昭さんと部屋を共有することから始まり、次はBCCの図書室の一部で業務をし、正式な執務室で業務ができるようになったのは数カ月後だった。その後、保谷専門家・庄子専門家は、大学やIT企業を訪問し、プロジェクトの重要性と協力を依頼して回った。この時に、その後の問題作成委員会の中心人物となるバングラデシュ工科大学のマフズール教授に大学の食堂で偶然出会い、ITEE導入の意義について意気投合できたことは、その後に生きてくる大きな収穫の一つであった。そしてBCCへの交渉の結果、教育省傘下の教育機関出身のアムザド・ホセインさんがPDに任命された。

そういった新体制でプロジェクトを少しずつ動かしてはいたが、PD・PM共に他省庁からの出向職員であったため、BCCの内部調整等がうまくいかないケースも発生し、プロジェクト推進に苦労していた。しかし、大きな変化が訪れる。情報通信技術省における官僚としての最上位の役職である事務次官に、N.I.カーン次官が就任し、流れが劇的に変わっていくのである。

N.I.カーン次官の就任と第1回トライアル試験

新しく事務次官として就任したN.I.カーン次官は、教育省幹部や首相筆頭秘書官などを歴任してきたキャリア官僚で、政権との強いパイプを有していた。しかし、N.I.カーン次官の本当の強みは、その型破りかつダイナミックな行動力であった。「俺のドアはいつでも開いている。いつでも話しに来い。その場で結論を出す」と就任当初から宣言していて、実際にそのように行動していた。まさに有言実行で、「私が誰と会っているか周りから見えないのはおかしい」と、事務次官執務室の壁も透明なガラス張りに変えさせるほどであった。

A group of men standing outside

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N.I.カーン次官(左から三人目)と歓談するプロジェクト関係者

N.I.カーン次官の協力もあり、徐々に存在感を増して行くITEEプロジェクトであるが、ついに2013年10月に第1回のトライアル試験を迎える。しかし、いきなり大きな問題に直面する。野党の最大勢力であるバングラデシュ民族主義党(BNP)が3日連続のストライキを宣言・・・・

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日本国内での啓発活動とITPECへの正式加盟

プロジェクトの運営と持続性

伸びない合格率と関係者間の軋轢

次期プロジェクトに向けて


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