第6章:日本市場へ向けたIT人材育成プロジェクト

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難しいプロジェクトデザイン

ここから再び舞台はバングラデシュへと戻る。日本で宮崎-バングラデシュ・モデルの形成が動き出す少し前の2015年末、バングラデシュでのITEEプロジェクトは終わりを迎えつつあり、保谷秀雄専門家と庄子明大専門家の離任も迫っていた。バングラデシュ政府からは、引き続きの支援を依頼したいと次のプロジェクトの要請が出ており、今後の支援の方向性についてJICAでは議論が続いていた。

この頃のJICAバングラデシュ事務所では、バングラデシュ政府からの要請を受け、ITEEの普及・活用を念頭に置きながらも、IT産業・人材育成に向け、バングラデシュに欠けているものは何か、日本の支援が求められるのはどのような活動かなど、技術協力プロジェクトの具体的内容をバングラデシュの官民の関係者の意見を聞きながら検討していた。バングラデシュでは、既に多くのIT企業が、業務アウトソーシングやオフショア開発等のビジネスを行っており、これをさらに活性化させる方策、特にITEEを活かし日本との連携により活性化させる方法がないかと考えていた。

そのような中、JICA本部が宮崎市と何かしらの連携を模索しているらしいという情報が入る。その情報はJICAから入ることもあったし、案件化調査を受注していた宮崎関係者から入ることもあった。そして2016年7月にはテロ事件もあり、次期プロジェクトの検討が後ろ倒しにはなったものの、2017年に入るとJICA本部から宮崎-バングラデシュ・モデルの案が送られてきた。そのアイディアを聞いた時の印象としてJICA事務所の担当所員であった山邊聖子さんは、「これはJICAの技術協力に馴染むのだろうか?民間連携事業でやるような内容ではないのか?」と不安に感じたと振り返る。

また、日本から送られてきた宮崎-バングラデシュ・モデルの案は、あくまで日本市場向けの人材育成・就職のモデルであり、それをJICA事務所が課題と感じていたバングラデシュ国内のIT産業開発や人材育成、そしてITEEの活用とどのようにリンクさせて行けばいいのか。どこまで民間の教育機関やIT企業と連携し、そしてどこまで日本側(宮崎大学・宮崎市・IT企業等)とコラボレーションするべきか、などのデザインの幅が極めて広く、案を作っては関係者の指摘を受けて作り直す、というサイクルを繰り返していた。

また、この案件に対する日本側の意識は、これまで山邊さんが経験してきた自治体連携とは一線を画するものであった。JICA本部勤務時代にも自治体連携の経験はあったが、これまでは主に自治体はノウハウを提供する側であって、JICAの事業に協力してもらうような形が多かった。一方、このプロジェクトに関しては、「とにかく関係者の思い入れが強く、プレッシャーがすごかった。宮崎からは議会で間もなく予算が承認されるから手続きを始めましょうとか、JICA本部からも進捗はどうなんだ、早く進めようと問われ、毎日JICA本部の弓削さん(事務所での前任でもあり、本部の宮崎連携担当)と40-50分電話をしながら、ただただ必死にやっていた」という状況であった。

プロジェクトの概要

そうした苦労とバングラデシュ政府との協議を経て、ようやく技術協力プロジェクト「日本市場をターゲットとしたICT人材育成プロジェクト」の大枠ができあがる。プロジェクトの目標は「日本市場を念頭においた民間企業による ICT 人材育成プログラムのモデルが形成されるとともに、ITEE を含む ICT 人材育成関連事業の BCC の実施能力が向上する」ことであり、その目標を達成するために必要な成果として整理したものが・・・・

プロジェクトの日本語研修の様子

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Bitly

B-JET体制構築

B-JET研修プログラムの検討と実施

独自の日本語教材・コンテンツの開発

殺到する応募者と選考基準の工夫

日本への内定者が続々と

ITEE広報・研修と、合格者の増加


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