生成AIは中立?持続的?文化・ビジネス・格差の視点から考えてみた

イノベーション・新技術

こんにちは、Kanotです。以前、朝日新聞デジタル(with Planet)に、以下の記事を掲載いただきました。

AIは誰の価値観を学ぶのか? アフリカDXへの可能性と課題|with Planet|朝日新聞
国際支援の現場にも導入される生成AI。便利な一方で、AIの学習データや文化的背景による偏りがみられるといいます。デジタル技術と国際開発の専門家が考察します。…

今回のブログ記事は↑の記事を踏まえた内容になりますので、可能であればこの先を読む前に、朝日新聞の記事を読んでいただけると嬉しいです。既に読んでいただいた方や、お時間ない人のために、記事のポイントを簡単にまとめると以下の通りです。

  • 生成AIには学習データの差に伴う文化バイアスがあるのではないか。
  • ChatGPT(米国)とDeepSeek(中国)に同じ問いをして回答の違いを比べてみたところ、欧米的な思考とアジア的な思考の差が見られた。
  • この差を知らずに開発途上国のDXに生成AIを活用すると、知らぬ間に価値観が上書きされたりするリスクがあるのではないか。

そんな問題意識を持っているのですが、知人に勧められて超相対性理論というPodcastを聴いていたところ、「AI時代の思考力」というシリーズ(#248-251)がありました。

このシリーズを聴いていく中で、色々とインスピレーションを受けましたので、朝日新聞の記事の続きとして、少し頭の整理も兼ねて補足的に書いてみようと思います。

生成AIが持ちうるバイアスは文化差異のみなのか?

朝日新聞の記事では、生成AIが持ちうるバイアスとして、主な学習データが英語(ChatGPTやGemini)と中国語(DeepSeek)と異なることを根拠に、欧米思考とアジア思考の文化差異を議論しました。

一方、Podcastで話題になっていたのは、「生成AIと一括りにされてるけど、ChatGPTもGeminiもClaudeも、作っているのはそれぞれ一つの会社であり、その裏には一人一人のエンジニアがいる。そのため、どの生成AIにもその会社の色が出るはず」という点でした。

この点はその通りで、あたかも「生成AI」という一般化された中立ものが普及しているように思いがちですが、それぞれ「企業」が作っているという点、あくまで営利活動として行っているという点、忘れてはいけないと感じました。

実際、軍事利用されたくないと米国政府との提携を解消したAnthoropic (Claude)、その後に米国政府と提携したOpen AI(ChatGPT)など、少なからずその成り立ちや哲学には違いを感じますよね。

生成AIは今後も無料で使えるのか?

昨今、私が教えている大学生をはじめ、非常に多くの人が生成AI(特にChatGPT)を使っています。そしてほとんどの人は無料で使っていると思います。この状態って生成AIサービスというビジネスから見てサステナブルなのでしょうか?

既にわかっていることとして、生成AIを動かすには多くのリソースが必要になります。例えば、生成AIはGoogle検索の約10倍の電力を消費すると言われています。そのために、サービスを提供する企業は巨大なデータセンターを作り、そこでの消費する水や電気が環境問題にもなりつつあります。つまり、運営自体に多大なコストがかかるということです。

今は普及期にあたりますので、各社が無料で使える枠を用意しており、多くの人が無料で使えていますが、これは今後も続く現象(持続的)なのでしょうか?

検索サイトやSNSでは広告という手法を使って、ユーザは無料だけどサービスが使えるというビジネスモデルになっています。一方で、生成AIは現時点では目立った広告はない状況です。まぁそのうち広告モデルか課金モデルに収斂していくでしょう。

そうすると、近い将来、生成AIは「みんなが使える公平なもの」ではなくなる可能性があります。つまり、課金する余裕のあるお金を持ってる人たちだけが、どんどん使えるものになり、お金がない人は満足に使えないという状態になってしまう可能性があります。

そうなると、これまでとは次元が違う格差が発生することになります。お金がある人や国はAIでどんどん生産性を高めて利益を得て、お金がない人や国はディジタルデバイドが拡大し、貧しいままとなってしまう。こういった格差の増幅が起きてしまうのではと感じています。

世の中全てがアメリカ思考に行き着く世界

Podcastの中で、アメリカ・イラン・ドイツなどで「論理的」の定義が異なるということが述べられていました。例えばアメリカでは「私の主張はXだ。理由は3つある。A, B, C」。イランでは「コーランにこういう一説がある。そのため、この問いの答えはXとなる」などが論理的だと考えられているという話です。

こういった論理性の違いは文化差であり、どれが正解ということはありません。一方、ことAIとなると、ほぼ全てがアメリカ企業によって作られています。つまり、AIが社会に普及すればするほど、アメリカ的な「論理的」が判断基準となりかねず、思考がアメリカ型に寄ってしまうのではという懸念が挙げられていました。

脳の劣化とAIの奴隷に

AIをはじめとするITサービスを使うことで脳が劣化するという話は数多く聞きます。私も芸能人の名前などが思い出せない時などに、ついついスマホに頼ってしまう自分がいます。

こういったAIの非常に高い効率性の副作用として、AIを使わなかった場合の能力低下があると感じます。例えば、AI以降に修行を始めた研究者などは、文献調査や分析などでAIに頼れる環境があるために、AIを前提とした高いパフォーマンスは出せるものの、AIがないと自力ではできない、という状況にあるのではと感じます。

そうすると何が起きるか。AIの助言がないと知的作業が何もできない人間ができあがります。これはAIに頼り続け課金し続ける奴隷的な存在に人間がなりうるということでもあります。

最後に

取り止めのない一貫性のない記事なってしまいました。ついついAIの話を書くと、ディストピア的な話になってしまいがちですね。今度は前向きな「AIが格差を解消していく」といった話もかけたらいいなぁと思っています。また今後も気がついた時には、自分の頭の整理も兼ねてUpdateしていきたいと思います。

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