こんにちは、Kanotです。最近、国際開発論を勉強し直しています。AI要約やウェブなどでも簡単に情報を取れる時代になっていますが、それだと一向に頭に残らないのが悩みです。楽に情報が取れすぎるAI時代の典型的な副作用ですね。ということで、アウトプットすることで記憶にも少しは定着するかな、と自分のメモ用に、読んだ本の記憶を残しておこうと思います。
今回は、アルトゥーロ・エスコバルの「開発との遭遇:第三世界の発明と解体」という書籍を取り上げます。批判的開発論の古典として有名な本です。初版は1995年で、2012年版で追記がなされ、翻訳本として2022年に出版されたものです。
著者と内容の概要は以下の通りです。(書籍HPから引用)
著者
Arturo ESCOBAR(アルトゥーロ・エスコバル)。1952年コロンビア生まれの人類学者。ノースカロライナ大学チャペルヒル校名誉教授。ポリティカル・エコロジー、科学技術の文化研究、社会運動論に関心をもつ。ポスト開発論・批判開発学の世界的権威の1人。著書にTerritories of Difference, Designs for the Pluriverseなど。
内容
あまたの開発本と本書との決定的な違いは現実の捉え方にある。著者エスコバルによれば、「現実」とされる現象は特定の政治的関心によって秩序化された言説・表象である。ある事柄が突然注目を集め関心事になることを「問題化」と呼ぶ。冷戦の最中、第三世界の後進性が問題化(言説化・表象化)され、開発介入の必要性が叫ばれた。だが、当地の人々の現実(暮らし)が以前と比べ大幅に悪化していたわけではなかった。
言説・表象としての開発「問題」を、著者はフーコーの生権力概念を大胆かつ明確に現実世界に投影させ、「開発の民族誌」を編んでいく。本書は南米コロンビアを実験地として、世界銀行調査団という「黒船」がこの国に入って以来(1949年)の、3つの生権力の物語を軸に展開される。
まず、「言説としての経済学」という物語。ここでは、現実の分析から理論を導き出すのではなく、理論によって単純化・カテゴリー化したものを「現実」として見なす「言説製造の仕組み」が語られ、いわゆる農学、栄養学等、第三世界に導入されたあらゆる近代諸科学に共通する本質が明らかにされる。次に、アメリカや世界銀行の援助を受けた農村開発や栄養改善のプログラムが一国の隅々にまで官僚組織制度を張り巡らせながら「開発言説効果」を浸透させていく物語、最後に、新たなターゲットとして農民が生産者、女性が追加労働者、自然が資源として切り取られ、開発に新たな意味づけがなされていく物語を通して、現代世界を今も覆い続ける「開発幻想」「『持続可能な開発』への夢」からの覚醒が呼びかけられる。
開発の時代の幕開けから70余年。9・11、福島、新型コロナを経て、今私たちは「持続可能な開発」言説の下にある規律統治権力の最新バージョンに直面している。「開発のためのオルタナティブ」ではなく「開発に対するオルタナティブ」を提示する本書(1995年初版、2012年増補版)は、現代文明と政治社会の根幹部について熟考を迫る「現代の古典」ともいうべき開発学の必読書であり、コロンビアと同様アメリカの実験国家である日本に住む私たちに、現在進行中の状況を考える至高の分析視角を提供する。
(きたの・しゅう 獨協大学外国語学部交流文化学科教授)
ここからは、各章を読んだメモとしての私の記録です(間違ってたらすみません)。
第1章:序章ー開発のモダニティの人類学
話は第二次世界大戦後にアメリカが開発途上国の「低開発」対策の必要性を訴えたことから始まる。著者は、その思想を元に進められた先進国や国際開発機関による開発のストーリーは、言説と表象という概念によって形作られていると主張する。言説・表象とは、私たちの考える「現実」を特定の政治的関心や意図という見えないものに変換されて拡散された構築物である。それにより、経済格差だけでない目に見えない格差や区別が生まれている。
第2章:貧困の問題化ー三つの世界と開発をめぐる物語
アメリカの開発の実験台として選ばれた国の一つがはコロンビアであり、国づくりにアメリカが大きく関与していく。低開発なコロンビアの救済という名目で、先進国や国連機関による資金援助や技術支援が言説というシンプル化されたストーリーをもとに投下されていく。現地に貧困があることなどは事実だが、その原因は我々が思っているほど単純なものではない。関係性のシステムへの理解が必要なのだが、言説としてシンプル化されることで本質が歪められ、権力や統治に結びついている。
第3章:経済学と開発の空間ー成長と資本をめぐる物語
開発経済学が台頭し、工業化による資本蓄積(先進国と同じ道を歩むこと)の必要性が説かれ、プラニングという官僚化が進んだ。その結果、ラテンアメリカは新自由主義政策(規制緩和、民営化、自由貿易など小さな政府を目指す)の実験場とされた。そして構造調整政策(IMFや政界銀行が求めた経済改革)が一気に広まった。
第4章:権力の拡散ー食糧の飢えをめぐる物語
言説に基づいた「開発」が進むにつれ、食料自給国として自活していた国が、純輸入国や援助受領国に変わっていく。援助機関によるプラニングや情報収集は人々の立場よりも統治側の世界観に使われ、問題は単純化され、権力のシステムができあがる。コロンビアの総合農村開発プログラムでは、技術・組織・マーケティング・教育・インフラなど幅広く支援をした。その中で地域の農作物は、自給自足的なものから、所得向上の大義名分の下に、都市部や外国に売れるものに変貌し、モノカルチャー農業に変わって行った(開発装置の定着)。こうしたプロジェクトが進むことで、政策決定に対する人々の無自覚化=脱政治化を定着させることになる。
第5章:権力と可視性ー小農民と女性と環境をめぐる物語
知識人や世界銀行総裁の話から見えるのは「無知で貧しい農民」と「生産性向上を支援する専門家・プランナー」という二分論である。ジェンダーによる分業推進も、女性の相対的貧困化に悪影響を与えた。新自由主義と構造調整政策で貧富の差は拡大、特に貧困女性の周辺化が進んだ。周辺化の推進役は皮肉にも女性のために推進された「開発における女性」「ジェンダーと開発」といった言説である。
「持続可能な開発」言説も人間ー自然の二分論があり、自然を利用の対象やケアの対象とみなす考え方で、代々自然と共存してきた伝統的社会の生き方を排除するものである。
第6章:結論ーポスト開発の時代を構想する
伝統や文化というものは、暗黙知と形式知、保守と確信など二元論を超えた動的かつハイブリットなものである。言説に惑わされず、可視性と可聴性が重要になる。エスコバルは以下のように主張する。「自分たちのアイデンティティとローカルなものを守り、ローカリゼーションを基盤に据えながら、外部の文化や経済とも賢く付き合い、ときにそれを受容する多種多様なやり方を身につけていくこと、これが第三世界の各地で争う民衆から学ぶべき最も重要な事柄である」。
既存の開発言説の秩序を変えて、ローカルの実践を伴った対抗言説を積み上げていくことが「ポスト開発」であり、人間であることの学び直しに繋がる。
第7章:2012年版への追補
エスコバルのポスト開発論は開発言説への問題提起など、開発をめぐる議論を発展させた。その一方で批判もある。貧困の悲惨な現実の無視、伝統の美化、などである。世界ではポスト開発論に繋がる変化もおきつつあり、代表的な例として、先住民の世界観であるブエン・ビビール(善き生き方、善き生活)がエクアドル憲法に謳われた。
こういった多様な価値観は、単一世界としてのユニバース(Universe)ではなく、差異・多様性を包摂した多元世界としてプルーリバース(Pluriverse=Plural + Universe)の重要性を示唆するものとなる。つまり、開発の答えは一つではなく、複数の価値・存在が共存するものである。
読後の感想
エスコバルの主張は、開発機関で働いていた身からすると、「困っている・苦しんでいるのだからその改善のための手助けをする」という当たり前のモチベーションに待ったをかける内容になっている。開発機関はカウンターパートである政府機関とのトップダウン(政策)として動かすことが多かったため、重要な指摘としてきちんと耳を傾けなければいけないなという納得感がある。
一方で、彼の主張への批判もあり、伝統の美化(例:開発計画に争う先住民を「理想の人々」として象徴化)や貧困を無視しているという点が挙げられていて、これも納得感があるものであった。これら批判については、訳者が軽い反論を載せており、伝統は古いライフスタイルを指すだけでなく、現地の環境や生態系に適った合理的選択や環境適応の結果であるという例もあると補足している。
私がODA実施機関で働いていた中では、実務を通じて開発について考えることは当然多くの機会があったものの、こういった開発の理論については学ぶことはあまりなく、勧められた本などを読んで断片的に学ぶ程度であった。大学で開発を学んだ人、留学で開発を学んだ人、別分野の専攻だった人、とバックグラウンドが多様なために共通の研修なども難しかったのかなとも思う。一方で、非開発業界から飛び込んだ身としては、若いうちにこういった理論を勉強する機会があったら、より実務への理解が深まったのだろうなと思わざるを得ない。
また、エスコバルの主張するポスト開発論としての伝統や地域性の重要視にはICTの分野でも同意するところが多かった。実は私も最近Global化とLocal化については考えることがよくある。特にICTの世界では、SNSやAIなど先進国(特にアメリカ)からのGlobal化への動きが著しく、Localなことは非効率的でありGlobal化という標準化に世界中が飲み込まれてしまう懸念を常に感じているためである。
その一方で、世界基準を導入しようとしたUberをアジアLobal化を推進したことで撤退にまで追い込んだGrabの存在、私がルワンダで研究をしてわかったアメリカ式起業システムと現地文化の不適合、などなど、Local化は今後ますます重要になる一方で絶滅危惧でもあるという問題意識がある。
以上、雑多なブックレビューであったが、頭のいい整理にはなったので、また書評(というか本のメモ・紹介)書いてみたい。


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