実務家と研究者の交差点はどこにあるんだろう?

アカデミック

こんにちは、Kanot(狩野)です。実は私は産官学の交差点のような立ち位置になることをキャリアの一つの目標にしています。これまでも、4年間の「産」、11年間の「官」での実務経験を経て、今は「学」の業界にいるため、そのようなキャリアに興味を持つようになりました。(一つの分野で勝負しても勝てないので、消去法的にそうなってるのかもしれませんが・・・。)

問題意識

まず、私の15年間の実務経験の中で、以下のような問題意識がありました

  • 国際開発の実務家(開発途上国の政策立案者や開発援助関係者)達は、研究論文をほとんど読んでいない
  • 実務家にとって論文は、読んでも分からないし、面白くない
  • しかし、論文の中にはエビデンスに基づく教訓・提言が沢山ある。(ここが「報告書」とは根本的に違う。)
  • 一方、研究者はあまり実務家に歩み寄らずに論文を量産している。

このような問題意識は私だけでは全くなく、多くの実務家・研究者が感じている点だと思います。

国際開発のオンラインマガジンである「The Povertist」でも似たような問題が提起されていて、Dripというカテゴリーで論文を実務家向けにわかりやすく紹介することを目指した試みがなされています。

あなたの論文が読まれない理由 | The Povertist
私たちは読むことに疲れてしまった。1970年から2017年までの一流学術誌を分析した研究がある。この約50年間で、論文の平均的な長さは16ページから50ページとなった。大量の情報処理に追われる実務家には、ドリップコーヒーができるまでの数分しか残されていないのかもしれない。

J-PALのPolicy Briefとは

さて、前置きが長くなりましたが、そんな中で、「おっ、これは実務家と研究者の交差点の一つの形ではないか?」と感じた事例がありましたので共有したいと思います。

それは、MITが主導するインパクト評価の専門家集団であるJ-PAL (The Abdul Latif Jameel Poverty Action Lab)が発行している「Policy Brief」が実務家と研究者の交差点として非常に面白い役割を果たしているのでは、というものです。

J-PALという団体は、開発経済学やインパクト評価をかじったことがある人ならご存知だと思いますが、「貧乏人の経済学」を書いたMITのアビジット・バナジー(Abhijit Banerjee)教授とエスター・デュフロ(Esther Duflo)教授が中心になって国際開発プロジェクトのインパクト評価(ランダム化比較試験による検証)を推進している団体です。

インパクト評価をご存知ない方は、こちらの記事もご覧ください。

インパクト評価の実施者は主に経済学者なため、数式や回帰分析が多用され、論文は難解なことが多いです。それを、「実務家が読んで理解し、教訓を政策やプロジェクトに反映させること」を目的に、論文を4ページ前後にまとめて発行しているのが「Policy Brief」です。これは論文のサマリーを共有するのとは全く異なるものと私は考えています。

ケーススタディ:農民への肥料販売に関するインパクト評価

例を挙げた方がわかりやすいと思うので、一つのケースを比較してみましょう。今回比較する題材は、J-PALの中心メンバーの一人であるMITのEsther Duflo教授がケニアで実施した「どのように・どのタイミングで農民に肥料を購入してもらうのが、安定的な農家収入のために効果的か」についてインパクト評価をした事例です。論文名は「Nudging Farmers to Use Fertilizer: Theory and Experimental Evidence from Kenya」です。

比較1.論文の本文

まず、Duflo教授の論文を見てみましょう。まずはこちらをパラパラと読んでみてください。

Page not found | MIT Economics

第1章の背景はまだしも、第2章のModel辺りからは数式が出てきて、(私の場合は)全くもって読む気が無くなってしまいます。そもそも論文も本文だけで47ページもあり、素人にはハードルが高すぎます。(この点については、前述のThe Povertist記事でも指摘されています。)

比較2.論文のサマリー

次に、論文にはだいたいサマリーが冒頭にありますので、それを読んでみましょう。

We model farmers as facing small fixed costs of purchasing fertilizer, and assume some are stochastically present-biased and not fully sophisticated about this bias. Such farmers may procrastinate, postponing fertilizer purchases until later periods, when they may be too impatient to purchase fertilizer. Consistent with the model, many farmers in Western Kenya fail to take advantage of apparently profitable fertilizer investments, but they do invest in response to small, time-limited discounts on the cost of acquiring fertilizer (free delivery) just after harvest. Calibration suggests that this policy can yield higher welfare than either laissez faire or heavy subsidies.

Duflo, E, et al. (2010). Nudging Farmers to Use Fertilizer: Theory and Experimental Evidence from Kenya

さきほどの本文よりはだいぶわかりやすいですが、やはり研究内容を学術的にサマライズしているため、model, bias, calibrationなどの専門用語も出てきますし、やはりまだ実務家としてはピンとこないところがあります

比較3.J-PALのPolicy Brief

では、この論文を元に発行されたPolicy Briefはどうでしょうか?まずは、こちらのリンクを軽く覗いてみてください。

https://www.povertyactionlab.org/sites/default/files/publications/2011.9.30-Nudging-Farmers.pdf

このファイルを見てみると、いきなりタイトルである「A Well-Timed Nudge」のすぐ下に「Enabling farmers to prepay for fertilizer when they had cash on hand was effective in promoting fertilizer adoption.」とあります。訳すと農民の手元にキャッシュがあるうちに、前払いで肥料を買ってもらうことが、適切な肥料利用に効果的である。」という感じで、実務家向けにズバッと、エビデンスに基づくメッセージが示されています。

そして、そのメッセージが気になった実務家向けに、数式を使わない解説が写真やグラフを用いて約4ページにわかりやすくまとめられています。1ページ目下部には、学術的というよりは実務家の参考になりそうなFindingが3点にまとめられて示されています。

  • 農民が肥料を作付けシーズン前に購入することには強い需要があった。
  • 事前購入のオファーにより肥料の使用率は増加するが、プログラムが終わると元の使用状況に戻ってしまった。
  • 作付けシーズン前の肥料事前購入は、作付けシーズンにおける大規模な補助金に比べ、肥料の利用率により大きい影響を与えた。

実務家としては、モデルや検証過程などは正直どうでもよく、その結果何が言えるのか、どんなアプローチが効果的なのか、さえしれればよいため、まさにそこにフォーカスしているものと思います。

課題とまとめ

私もこれまで様々な機関が発行した論文・報告書、そしてそれらのサマリーを見てきましたが、ここまで目的と読者を明確に、難解な研究内容を書き下しているものは見たことがありませんでした。これまで読んだ多くの報告書・論文のサマリーは、読者が納税者や出資者、業界関係者を想定したものになっており、必ずしも途上国政府の政策立案者(ポリシーメーカー)の参考になるものではないと感じていました。

一方、このPolicy Briefからは、「研究結果をちゃんと政策立案者や援助関係者に伝えて、実務に生かしてもらいたい」というメッセージがこれでもかというくらい伝わってきます。そのため、「これこそが実務家と研究者の交差点の一つかもしれない!」と非常に感銘を受けました。

と、J-PALのPolicy Briefをベタ褒めしてきましたが、これといって完璧なわけではないと思っています。主な課題として私が感じているのは、メッセージを明確にするために、かなり一般化してメッセージを書いてしまっている点です。少なくともこの論文に関しては、「ケニアの農家の場合は今回のアプローチが効果的であることが実証された」という論文だったはずなのに、Policy Briefでは、世界中どこでもこのアプローチが効果的かのように断定されているような印象も受けかねません。こういった誤解のままに政策に取り入れられてしまうこともリスクのひとつではあります。

また、私はこの記事で、研究論文は読まれないから意味がないというつもりはないことも付け足しておきます。確かに9割以上の方にとってはPolicy Briefのような形の方が読みやすいのですが、そもそもこの主張がきちんとした測定手法や手順に基づいているのかについては、きちんと論文を精査(ジャーナルなどの査読)をしないとわかりません。ですので、こちらもこちらで重要なアウトプットです。

今後もこのように実務家と研究者の交差点になるようなものを探していきたいと思います。

追記(2019/10/19):
この記事で取り上げたJ-PALの中心メンバーであるアビジット・バナジー(Abhijit Banerjee)教授とエスター・デュフロ(Esther Duflo)教授が2019年のノーベル賞を受賞しました。

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コメント

  1. […] 追記:ICT4D.JPで狩野さんも同じような問題意識を丁度書かれていた。こちらで紹介されているJPALの試みは見せ方として勉強になる。 […]

  2. […] また、ちょうど私が先日ブログで絶賛したJ-PALのポリシーブリーフですが、このJ-PAL(The Abdul Latif Jameel Poverty Action Lab)を立ち上げたのがまさにBanerjee教授とDuflo教授です。やはりインパク […]

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