OLPCは名前を変えないと

ビジネス

このブログでもときどき取り上げているOLPC(One Laptop Per Child)。“100ドルPC”プロジェクトとして知っている方も多いかと思いますが、最新モデルはLaptop PCじゃなくて、タブレットになりました。ラスベガスで開催された「2012 Internationl CES」でというイベントで発表されたこのモデル、なかなかカッコイイなぁ。ウルグアイとニカラグアのOLPCプロジェクトからすでに7万5千台を受注済みとのことです。

ICTWorksブログにこの最新のOLPCについての記事“Is the OLPC XO-3.0 the Right Education Tablet for Schools in Africa?”がありました。
「途上国支援に関わる人達がラスベガスの「2012 Internationl CES」にどんだけ来るのだろうか?」という皮肉や、「アフリカでの携帯電話通信網の広がりを考慮すれば、3G対応していれば家でも使えてもっと良かったなぁ」という意見が述べられていて面白い。また、その記事の最後に、アフリカでのOLPC成功のための5つの提案があった。

  1. 携帯電話キャリアと連携すべし:Safaricomが35万台のスマートフォンを6ヶ月で販売したように、3G対応にして携帯電話キャリアと組めば、OLPC普及ももっと促進出来るだろう。
  2. 現地NGOや政府と連携してコンテンツ開発・配信に注力すべし:対応コンテンツを充実させるために地元NGOや途上国政府(教育省など)と協力してソフトウェア技術者のコンテンツ開発能力を強化すれば、ニーズにあったコンテンツが豊富になる。
  3. 小さく初めて大きく育てるべし:アマゾンのKindleがそうであったように、小さく実験的に初めて見て、ニーズがあることが分かってから本格的に。
  4. OPLCという名前を変えるべし:←これは説明不要でしょう。もうPCじゃないからね。
  5. ソーシャル・ビジネスに変えるべし:ハードウェアビジネスとしてチャリティーでやっていくのは困難。

いずれもなるほど感のある提案である。特に自分が賛同出来る点は、1番目と2番目の点。タブレットになったということは、文書を作成したりという入力機能よりも、閲覧機能重視の使い方に向かっていると思う。そして、タブレットは結局閲覧するための端末の位置づけなので、その裏にあるコンテンツがより重要性を増す。iPadの裏にAppStore、Androidの裏にAndroid Market、Kindleの裏にAmazon.comがあるように、OLPCの裏にも豊富なコンテンツを簡単に提供する仕組みが必要である。

インドの35ドルタブレットとか、最近生産が開始された25ドルPCとか、途上国向けの格安ハードがどんどん出現してきましたが、OLPCがそいうった他のハードと差別化出来て成功するかは、その裏にある仕組みが構築出来るかにかかっているのかもしれない。それとも、ハードやOSの壁を超える“途上国向け教育クラウトド”的なプラットフォームが出現するのが先でしょうか。と、こんなことを考えていたら自分もタブレットが欲しくなってきた。iPadかAndroid端末かどちらにしようか・・・。スティーブ・ジョブズを失ってもAppStoreは今後も期待出来るのか、それとも、途上国市場も視野に入れて活動しているGoogleのAndroid Marketが今後の勝ち馬か?悩ましいなぁ。

(参考:過去のOLPC関連投稿)
One Laptop Per Child
OLPCは失敗例の見本なのか
エチオピアのOLPC調査結果
エチオピアのOLPC

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コメント

  1. あっちゃん より:

    WISISでコンセプトモデルを発表してもう7年、アフリカでも運用し始めて5年ぐらいたちます。そのわりにはアフリカ諸国での運用内で、一番重要な2番と3番が成功していません。 コンテンツ、教師の教育、プロジェクトのモニタリングの重要性とかは色々なところで重要であると話されている割には進んでないですよね。

    また1番の点はデーター通信のアフォーダビリティを考えると少し時期尚早のような気がします。 ケニヤのスマホの場合はビジネス・コンテンツやユースがあるから広まったことが大きいのではないでしょうか。OLPCの場合は基本は教育ツールであるので(またそうでなければ本来のユーザーである子供たちに回らない気がします)、同じビジネスモデルが使えるかは少し疑問があります。

    4番も難しいでしょうね。 せっかくOLPCというブランド名があるのを変えてしまうとそれこそ他のハードとの差別化が難しくなると思います。 

    いっそのこともうハードでの勝負はやめて、コンテンツとか(例えばハーンアカデミーのような)OS(シュガーをシェルとしてanndroidの上で走らせれる様にするとか・もっと使いやすいものにするとか)に特化していった方がよいような気がします。 

    もちろんOLPCが提起したコンセプトのおかげで低価格ICTデバイスがはやった事に対しての貢献は否定しないのですが。

  2. Ozaki Yuji より:

    正直なところ、ボトムアップ的な現地でのコンテンツ作成には希望が持てません。過去にいくつかの国で「教材作成ワークショップ」なるものをチラ見したことがありますが、既存の書籍をWord上で再現しようと苦心していたり、Wikipedia等からコピペしていたり。教育利用なので、Creative Commons などを含めて著作権のシバリは緩いにしても、なんだかなー、と感じました。そんな場所に「IT専門家」の肩書きで居合わせてしまうと、「俺のPC動かない、直せ」「Wordの裏技教えろ」「Photoshop/AutoCad/スキャナ買ってくれ」の攻撃を喰らいます。

    当該国の教育省やそれなりの省庁が出版社と相談して、教材のPDFやEpubなどを有償で一括ライセンスしてもらったほうが早いのでは? と考えるのですが、価格以外で、調達や教員認定・民族教育・教科書認定制度・指導要領等との絡みで何か難しい問題でもあるのでしょうか…。

    「継続性の前提となる人材の育成」が含まれないと予算化されない、というオチかもしれませんが。

    ローカリティの高い「国語」は難しいにしても、途上国が弱いとされている数学や物理の場合、それらの基礎的内容は、言語や地域によらず近似だと思うんですけど(青年海外協力隊員に理数科教師が多いことの理由の一つでもあったような気がします)。

    なお、教科書等の出版は、印刷物であれ電子書籍であれ、複数のプロフェッショナルが各行程に携わる仕事です。現場の先生を3週間トレーニングして追いつくようなものでもなく、機材やソフトウェアがあれば「誰でも簡単に、かつ自動的に」できる訳じゃないです….とはいえ、iBook Author は面白そうですね。

    • あっちゃん より:

      OZAKIさん、

      「当該国の教育省やそれなりの省庁が出版社と相談して、教材のPDFやEpubなどを有償で一括ライセンスしてもらったほうが早いのでは? と考えるのですが、価格以外で、調達や教員認定・民族教育・教科書認定制度・指導要領等との絡みで何か難しい問題でもあるのでしょうか…。」

      これやっているところもあるのですが、ご指摘のとおり現地のカリキュラムとの整合性が取れていない所とこれらを効果的に使える人材がいないことが問題になっていると思います。 後PDFやEPUBではせっかくのデジタル化の意味があまり無いような気がします(kindleやnook touchみたいなe-book reader なら別ですが)。

      私が昔少し関わっていた案件で理数科の副教材としてパーソンズとノキアと組んでマルチメディア教材をマルチキャストするというものがありました。 例えば熱帯の子供たちに北極や南極の生態系のビデオクリップを見せたり、科学の実験を行う前に手順をビデオクリップで説明したりすることが行われました。

      これらは副教材だったので既存のカリキュラムに取り入れこむことがわりと簡単だったのですが、それでも先生がこれらの副教材を効果的に使えるようになるまで課題は多かったように思えます。

      今から考えればこれなんかはJOCVなどと組んで現地の先生に効果的な副教材の使い方を教えてあげれるような環境があればもっと効果的だったんだと思います。

      おっしゃるとおり教育コンテンツは先生が効果的に教えられることで初めて生かされると思います。 これはデジタルコンテンツだけではないのですが、先生の教える能力の向上が一番重要だと思います。

      やはり時間はかかりますが現地でのコンテンツ作成能力と効果的な使用能力の育成とすでにある普遍性のあるコンテンツ(おっしゃっているように理数科の副教材が特にやりやすいかもしれません)の組み合わせをしていかなければうまくいかないかもしれませんね。

      • Ozaki Yuji より:

        あっちゃんさん;
        既に実例があるんですね。ありがとうございます。そんな教材が利用されているところを見たかった…。

        以下余談です。長文すみません。

        私が頭に思い浮かべる身近な「副教材」は、ドリルや小テスト等のプリントです。先生がサクッと手で原稿を書くか(先生は達筆な方が多かった)、ストックされていた原稿を選び、当番の生徒がリソグラフやガリ版で人数分を刷っていました。そのプリントは、見た目はショボいですが、内容にも利用にも問題を感じませんでした。しかし、個々の生徒の小テストの得点推移を手作業で集計したり、そこから補強するべき弱点を見つけたりする作業は、小テストの回数が増えるほど、傍目で見ても大変そうでした。

        それから15年後、私が都内でコンピュータスクールのインストラクタをしていた頃、副教材をコンピュータで作成したい、という先生方がボチボチとお客さんの中に見られるようになっていました。Windows98が普及していた頃です。国語の先生は漢字テストの作成と文章の縦書き、算数の先生は数式の入力、理科の先生は画像素材とグラフ作成、英語の先生は穴埋め問題の作成、グラフィカルな部分で四苦八苦しており、皆さん口を揃えて「手書き、もしくはワープロ専用機と手書きの併用の方が圧倒的に早くできる」と仰っていました。

        この話のオチは、コンピュータの利用が「成績処理と分析」にから始まったことです。得点の転記という手間はあるものの、数字の入力は電卓と共通操作であることから、心理的な抵抗も少なかったようです。コンピュータ操作に慣れるに従って、日常的な生徒指導と期末処理が若干楽になったとの声が聞かれました。
        実際には、私が、個別に指導内容を組み立てるのがあまりにも大変すぎるので、全員を対象としてインストラクションできる成績処理っぽいものから初めてしまっただけです…。

        *** 閑話休題 ***

        ペラ物(チラシなど)を含め、商業印刷物は、物理的には「紙などにインクを乗せたもの」です。しかし、少しでも読みやすくするために、写真・図版・テキスト・文字組み・編集・レイアウト・紙選び・綴じ等に、それぞれのプロフェッショナルが、半ば専用機とも言える機材(種々のハードウェア・ソフトウェア)を操作することで分業的に作成されています。そのような、リッチな印刷物を日常的に目にしている人々を満足させるモノを作ることができる技術と環境を、短い時間で、片手間かつ個人レベルの資金力で入手するのは非常に難しいはずです。
        ところが、「パソコン(ハードウェアのみ)があれば誰でも簡単に無手順でできる」という強い思い込みを持つ方々、そのような考え方を吹聴している方々を前にして疲れることが多いです。
        (「印刷物」を「Webサイト」に置き換えても成立するような気が…..)

        そのような人々に見られる共通の特徴は、商業出版物を見ながら「AutoCadがあればこんな図版が書ける」「PhotoshopとIllustrator、デジタル一眼レフカメラがあれば、このような美麗な写真画像や図版が作成できる」という感じで、「ツールの名前が常に先に出てくる」ことだったり、「データベース化」が口癖だったりすることです。実に不思議です。

  3. tomonarit より:

    あっちゃんさん、Ozakiさん
    コメントどうもありがとうございます。現場をよく知るお二人ならではのコメントで非常に勉強になります。

    Ozakiさんの言うように、「ITを使ったからって誰もが簡単に素晴らしい教材が出来るわけじゃない」というのはまったくもって賛成です。最近、いわゆるマルチメディア教材と呼ばれる映像やら動画やらを組み合わせた教材作りやポスター作りに携わっているのですが、プロの技術の凄さや、モノづくりの奥深さをとても感じます。

    じゃ、ローカルの教師やNGOによる学習用コンテンツ作成は諦めるほうが得策かというと、そうではない気がします。OLPCなどのデバイスを使うなら、プリント的なコンテンツをOLPCように作れるようになる必要はあるし、自分で作った教材で教えることに意味がある気がします。自分が協力隊のときに感じたことですが、どこかの誰かが作った副教材を使うよりも、自身でつくる教材のほうが(パワポでつくっただけでも)授業が面白くなると単純に感じました。

    (ちょっとズレてしまいますが、私の赴任先の高校では、紙とインク節約のため、副教材は作成は禁止されていました。プリント刷って良いのはテストのときだけ。なので、IT利用により画面上で副教材を見せられるのは、かなり意味があるんじゃないかと思います。)

    でも、教材の作り方を教えても、どこかの本を丸ごとスキャンしたものを貼り付けただけの教材をつくる先生はきっといるだろうと想像出来ます。こうなってくると、とどのつまりは、IT活用の有無じゃなくって、先生のモチベーションの問題(給料とか)になってしまうのでしょうね。うーむ・・・。

    • Ozaki Yuji より:

      tomonaritさん;

      紙とインクの節約がかなりシビアなら、コンピュータの利用はさらに厳しいものになりそうですね。ランニングコスト・メンテナンスコストは常に頭痛のタネです(「コスト」には手間や時間を含みます)。

      電力や通信などの基礎的インフラが弱いところでは、「コンピュータが動かなくなっても日常業務は何とか回る」ようにしたいところですが、コンピュータは便利な物なので、導入するとすぐに「止まっては困る」ものになってしまいます。止まらないようにするためには、一般利用者(あるいは予算権限を持っているが業務でコンピュータを操作しない人)の目に見えにくいところにコストや手間(特に初期の設計)がかかるので、予算の確保が大変になります。しかし、往々にして「転ばぬ先の杖」は真っ先にコストカットの「成果」にされてしまいがちです。

      また、下流行程でITに絡んでいると「それは無理です」という言葉を使わざるを得ない機会が増えます。上流行程が腐るほど矛盾を生み出しているのですが、上流行程側からは「何の工夫もしないで無理と言うな!」との主張が通ります。
      よしんば根拠立てて説明できても「言い訳を考えるヒマがあったら工夫しろ」「もっとよく調べろ」となり、「上流行程側では、なぜそれができると判断したのか?」の問いには、「質問で返すな!」が返ってきます。

      ※ソフトウェア工学で「見積もり」が大きな分野・課題になっているのは、金額に換算しないと納得できない人が多いことによるのでしょう。

      否定的事実など挙証が困難な命題の証明を相手に迫ることは(〜できないことを証明しろ、とか)ディベートのテクニックやレトリックであることから、そもそも技術的なことは些末な問題として扱われているのではないか、と考えるようになってきました。建設や建築はモノが目に見えて大きいので事情が違うでしょうけど。

      他には、特定機材や技術の利用を念頭に置いた活動は「調達制度に倒される」ことがあり、予算立てをいっそう難しくしています。この件はまたいずれ。

  4. アベバ より:

    tomonaritさんの記事を読む前に・・・
    http://news.mynavi.jp/articles/2012/02/07/olpc/
    ・・・の記事を読み『遂に出たか!』と興奮しました。
    以下、記事からの引用です。
    ===
    OLPCのタブレットはソーラーパネルカバーを持つほか、防水・防塵、耐久性を特徴とする。「30フィート(約9メートル)の高さから落下しても壊れない」と同氏。今後の計画として、「文字通り、タブレットをヘリコプターから落とす。1年後、子供たちが読み書きできるようになるかわかるだろう。」
    ===
    『世界を変えるかも!』と思った瞬間です。
    直観的に使えるツールは、教育基盤が整わなくても、子どもの好奇心さえあれば使いこなすことができる。PCの代替というのではなく、知識を得るためのツール。このコンセプトは最高です。

    ですが、これがOLPCである必要性、必然性は残念ながら感じられない。汎用性のなさが一番の弱点ではないかと思います。(そこが狙いなの?)
    tomonaritさんの言っていたアルテクを使って、ipadやanndroidタブの改良版社会貢献モデル。売上の一部を途上国の教育支援に。或いは、量販店のポイントを途上国の教育支援に還元。そんな少しの知恵と工夫と企業の努力でサクッと実現できるモデルがあるのではないかと。

    その知恵と工夫と少しの努力ができないジレンマに苛まれるICTベンダー勤務の私なわけですが。

    • tomonarit より:

      アベバさん
      コメントありがとうございます。確かにOLPCである必然性は当初に比べて薄まってる気がしますね。
      最初は「途上国向け」という志向が価格面でも性能面でも非常にキャッチーだったし、
      他社製品との差別化がされていたものの、最近はその差がかなり縮んだと思います。
      価格面では特に。また、機能面でもソーラーパネルなんかも他社も出してきているし。

      >ipadやanndroidタブの改良版社会貢献モデル。売上の一部を途上国の教育支援に。
      >或いは、量販店のポイントを途上国の教育支援に還元。
      >そんな少しの知恵と工夫と企業の努力でサクッと実現できるモデルがあるのではないかと。

      以前、OLPCが「Give1Get1プログラム」ってのをやってました。(下記URL参照)
      http://ow.ly/8Vrjx
      でも、自分がGet1するなら、iPadの方が嬉しいかも。
      アベバさんの言う、サクッと実現出来るモデルはきっと「アリ」ですよね。

  5. アベバ より:

    http://ow.ly/8Vrjx の記事読んで『寄付』という言葉に強い違和感を覚えました。一方的な施し、一過性の支援・・・私には抵抗感がある。

    じゃ、企業のCSRモデルとどこが違うのか?
    違わないのだけど、一歩踏み込んで、もっと循環できるような仕組みが考えられないだろうか。

    例えば、貧困という理由で健常者であっても教育機会に恵まれない子どもたちと、(様々な健康上の理由で)社会的弱者として教育の機会を奪われているかもしれない子どもたち。前者がどのようなステップでタブレットを使いこなせるようになったかという経過が、後者の能力開発のヒントになるかもしれない。

    施しではなく、未来への投資。「教育の機会を与える」のではなく「能力を開発して社会に還元してもらう」広義の意味では奨学金のようなもの。そのように子どもたちにも受け止めらてもらいたい。

    社会が投資した結果、能力が社会に還元されるというモデルを考えたいなぁ。

    ちょっとICTという観点からはズレちゃいましたが、要するにハード(インフラ)をバラまくだけじゃなく、その先どうするの?というお話しでした。

  6. […] ソーラーパワーを使ったノートPCといえば、OLPCもそうだし、物珍しさが段々薄れてきている思います。そして、やはり一番の疑問は、「売れるのか?」という点。「アフリカの田舎で電気がないとことろで電化製品が売れるわけない」という固定観念は、携帯電話の爆発的普及によって打ち壊されたのはその通り。 […]

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