コロナ禍の公立・私立の学びの格差 in フィリピン

アジア・大洋州

こんにちは、Kanotです。最近仕事で英語を話す機会が減っているので、フィリピン人講師のオンライン英会話を続けています。講師と雑談を続けている中で、フィリピンにおいてコロナ禍の教育継続(特にEdTech)が与えた影響について話をしたところ、色々な気づきがありましたので、メモがてら記事化してみます。

私立小学校のケース

まず、フィリピン人講師の娘さんは私立の小学校に通っているそうで、その学校でのコロナ禍の対応について質問してみました。その学校ではパンデミック開始後のかなり早い段階でZoomを使ったオンライン教育に切り替わったそうです。

この場合、当然Zoom授業に参加するための端末が必要になりますが、誰が支援したのか(学校か両親か)を聞いてみたところ、私立に通わせる家庭は比較的経済的にも余裕があるため、ノートPCかタプレットを自ら買って子供に使わせていた家庭が多かったとのことでした。

「スマホでアクセスしてた家庭は少なかったのか?」とも聞いてみたところ、確かにスマホでアクセスしていた子供も一定数はいたそうです。ただ、スマホの画面では授業がよく見えない、注意力が削がれるなど、わかりやすい弊害が多くあり、大多数の家庭では最低でもタブレットは用意していたと思うとのことでした。

コロナ禍の親の負担についても確認したところ、経済的負担に加え、子供がZoom授業に集中しているかをモニタリングせねばならない負担があったとのことでした。経済的負担という面では、私立に通わせる家庭ではもともとノートPCを持っているケースが多かったようですが、そのPCは親も仕事で使っていたりして子供に日中預けっぱなしというわけにはいかず、結局追加でタブレットを買わざるを得なかった家庭が多かったとのことでした。

公立小学校のケース

一方、フィリピンの公立の学校ではどう教育を継続していたのでしょうか。その講師の住むエリアの公立小学校では、1年以上閉鎖が続いたそうなのですが、基本的には紙ベースでの教育継続であったそうです。毎週1回、親が学校にワークブックのようなものを取りに行き、その際に回答済みのワークブックを提出し、前回提出した採点済みワークブックを受領するという形だったそうです。

つまり、このケースだと自習形式の学習を1年以上続けざるを得なかったということで、子供の学習進捗・理解度へのインパクトは非常に大きかったのではと思います。そして公立だとインターネットに接続する機器を持っていない家庭も多く、このような対応にならざるを得なかったのだろうとも言っていました。

この場合の親の負担についても聞いてみましたが、実は私立の家庭より負担は明らかに大きかったようです。というのも、紙ベースでの教育では、授業をしてくれる人がいないため、親が家庭教師のようにサポートをせざるを得ず、それが多くの家庭でかなりの負担になっていたようです。

どのような格差が広がったのか?

これらの話を聞いて私が「じゃあ私立に行った子と公立に行った子、今後ますます差が開いてしまいますね」と言ったところ、フィリピン人講師は確かにそうだと認めつつ、「その差は学校の種類よりも個人の特性による差の方が大きくなると感じている」というちょっと意外な答えが返ってきました。

「ん?どういうこと?」と聞いたところ、私立に行っている子供でも、自分で勉強ができている子は伸びているし、Zoom授業が合わずに集中して参加できない子は明らかに成績が落ちているとのこと。

確かに、オンラインだろうがオフラインだろうが、リモート学習は本人のやる気という要素はこれまで以上に大きくなるだろうなと納得させられました。

そして、講師が公立小学校に通う甥の卒業式に出た際のエピソードが興味深いものでした。フィリピンの卒業式ではいろいろな表彰があるそうなのですが、その際に多くの賞(数学成績、英語成績などなど)を独占した女子生徒がいたそうなのですが、彼女は家にテクノロジーの類がほとんどないような貧しい家庭の子だったそうです。

つまり、この子にとってはもしかすると学校の教育よりも、自習で自分のペースで進められる学習が合っていて、また自分で学ぶ気持ちも持ち続けているため、パンデミックの影響を最小限に、もしかするとプラスに働かせることができたのかもしれません。

つまり、私立・公立の両方において、コロナ禍のインパクトとしては、個人の特性による差が大きかった可能性があると感じました。すごく単純に図化してみると、以下のようなイメージです。

Amplification Theoryを思い出す

ここまで考えて気づきましたが、これは改めてミシガン大学の外山健太郎教授の提唱していたAmplification Theoryについて、再認識する機会にもなりました。Amplification Theoryというのは、テクノロジーというのは、ユーザーの本来持っている思いや能力を正にも負にもamplify (拡大・拡幅)するものであり、テクノロジーそのものが解決策になるものではないと言ったものです。

つまり、EdTechのような教育テクノロジーは学びたい意欲(aspiration)を持つ子供達の学びを拡幅(amplify)する可能性は持っているものの、意欲を持たない子供にも学習効果をもたらすような魔法のツールではない、といった主張です。

今回のケースでも、私立に行ってテクノロジーの恩恵を受けた子供であった場合でも、やる気があればオンラインに溢れる学習教材を活用して伸びていくし、逆にやる気がないとゲームやらSNSなどに時間を取られて負の面の方が大きくなる、というケースであったかと思います。

頭ではわかっていたつもりでしたが、テクノロジーを持つ家庭は教育上で得をし、テクノロジーを持たない公立学校の家庭は苦労をするという単純な二項対立で考えていたぁと、改めて気付かされた会話でした。

ニュースレターはじめました。テクノロジーと国際開発(ICT4D)に関する新規ブログ記事・海外ニュース・イベント情報などを月1〜2回発信しています。以下フォームからご参加ください。詳細はこちら

Kanot
フォローする
アジア・大洋州教育・人間開発
ICT for Development .JP

コメント

タイトルとURLをコピーしました