写真はコートジボワールの首都アビジャン。今回の投稿内容とは関係ないけど、折角なので載せてみました。
さて先日、ガーナで活動するGrameen Foundationの方々と意見交換する機会があった。保健や農業と言った分野で携帯電話を活用したプロジェクトを実施している。そこで興味深かったのは、先方のプロジェクトというよりは、Grameen Foundationの人達の説明と自分の同僚の反応との間に若干のギャップを感じた点である。一言で言えば、「ICT(携帯電話)利活用が開発プロジェクトの効果を促進する」というGrameen Foundationの人達と「果たして100%本当にそうと言い切れるのかなぁ…」という反応のギャップである。
先日このブログで取り上げた本「Geek Heresy: Rescuing Social Change from the Cult of Technology」の中から今回感じたギャップを説明するに非常に共感出来る部分があったので紹介したい。
まずICT4Dプロジェクトに大しては大きく何種類かの人がいる。
- Utopians: テクノロジー至上主義。どんな課題もテクノロジーが発展すれば解決出来る!という人達。OLPCのネグロポンテ氏などはこの部類。
- Skeptics: テクノロジーの効果を疑ってかかる人達。ICTを使ったからって物事が劇的に良くなるなんてこたぁないっしょ!という意見。(そう言えば「Techno-centric or Socio-technical?」という投稿も参考までに)
- Contextualists: ICT4Dプロジェクトの成功はコンテクスト(背景)によりけりだよね、という人達。上記の2種類の人達のようにどっちかに偏ってはいない。
今回、自分が感じたギャップは例えるならば、上記1. の人達と2.もしくは3.の人達とのギャップと言える。勿論、Grameen Foundationの人達も単純に1.の主義ではない(←TechnologyよりHuman Centered Approachが重要と言っていたので)のだが、単純化しちゃうと今回の議論はそのように見えた。
この手のカテゴリはICT4D関連の文献や先進国での情報システム構築プロジェクトについての文献でも頻繁に取りあげられている。自分がこの分野の勉強を始めた頃は、Contextualists的な立場が最も妥当と思っていた。しかしContextualistsの立場では、結論決まって「ICT4Dプロジェクトの成功・失敗はコンテクストによりけり」となってしまい「またそれか…」的な落胆を感じるようになった。そういう意味ではUtopiansの方が突き抜けててカッコ良い(Googleの元CEOエリック・シュミットとか)と最近は感じている。
そんな思いを感じていたところ、Toyama氏の本にToyama氏の経験則からくる「普遍的なICT4D成功要因」とも言える点が紹介されていた。それは以下の3点。
- 投げ出さないリーダー:最後までプロジェクト投げ出さず成功に導く、そんなリーダーの存在が不可欠ということ。そう言えば、同じことが別の文献等でも語られており、「ICT4D Champion」なんて名称で呼ばれてもいる。
- 良いパートナー:ICT4Dプロジェクトを実施するための現地パートナーがかなり重要。例えば、学校を対象にした教育分野ならやる気と能力がある校長先生の存在などが不可欠。
- やる気のあるユーザー:プロジェクトの受益者で導入するICTを使う人達にやる気や明確なニーズがないとダメ。
以上、どれも至極当たり前のようですが意外と見落としがちかと。例えば、ICT4Dプロジェクトのあり方として、「まずはパイロット・プロジェクトを小さく初めて成功してからロールアウトしよう(まず最初は1つ2つの学校に絞ってICTを活用してみて、成功したら州全部の学校に普及しよう!みたいな)」というのは良くある方法ですが、最初のパイロットが成功しても、ロールアウトに失敗するパターンがある。
最初のパイロット・プロジェクトのサイトをどう選ぶか?を考えると、ロールアウト失敗の理由がわかる。最初はやる気のある校長先生が居て、明確なニーズがある学校を選んで、さらに懇切丁寧にユーザーに現在の課題やプロジェクトのメリットを説明したりするなど、ドナーも「絶対Good Practiceにしてやろう」とリソースを集中投下出来る。でも、ロールアウトの段階になると、対象校が増えるため、中にはやる気のない校長先生だったり、懇切丁寧な説明をユーザに出来なかったり、といった状況では、1校を成功に導けたリーダーも全校を成功に導くことは困難、ということになる。そして、「成功モデルの普及」は成功条件の整った学校にしか普及出来ないことが判明する…。
結局、じゃどうすれば良いのか?という回答は簡単に得られないものの、このような視点は非常に大切。そしてこれは何もICT4Dプロジェクトに限った話ではない。
コメント
興味深い論考、ありがとうございます。
途上国開発系でよく聞く「Human Centered Approach」に対して「(マス)マーケティングアプローチと何が違うの?」と感じている私は、おそらくmammonism(拝金主義)に毒されています。
途上国開発におけるICT/ITの利活用って「法的やら説明責任やら情報の共有やらの業務上必要とされる事項が全て満たされる(誰かが作った)パッケージを買ってきて導入・据付し、それを決められた手順を利用者に研修してオワリー!」なイメージが、企画者・援助の受け手の頭にあるような気がしています。そのパッケージの要件に合わせて、インフラを買ってきたり、法などの仕組みを整えたり、ユーザー操作研修したり、という逆アプローチですね。そうなると基礎リテラシとか関係ないし、公的調達の枠組みを変えなくていいし、効率いいじゃん、と本気で考えている人がいそうなところが怖い(苦笑)。
一見、経理系の仕事(弥生会計とか勘定奉行の導入)が典型的にそう見えるんですが、それはそういうエコシステムが成立している環境でのみ言えること…。とはいえ、USAIDやUNICEFは相応のお金と時間を積んでいろんな領域へのチャレンジを繰り返してますけどねー。
*** 閑話休題 ***
Googleが学術的なComputer Scienceの成果物をベースに技術を掛け合わせて企業活動にまで仕立て上げた数少ない例であることから(故にアカデミズムからのシンパシーが多く集まる)、Utopiansの例としてGoogleの元CEOを挙げておられることにも賛同できます。そういうところがGoogle(Alphabet)と、マイクロソフトやオラクルとの大きな違いであるようにも感じています。
翻って、Contextualists を占めることで得られる実務的な美点は、外部要因に紐づけた責任逃れが可能であるコトに尽きるでしょう。Contextualistsが言うところの「コンテクスト」の塊から不確定部分を取り除いたり、入り組んだ依存性をほどいてゆくのはエンジニアリングの領域なのでしょうけど、途上国開発系とエンジニアリング系って、公ベースな甲乙関係の下では相性悪そうですね。
付記:
Microsoft Research Labsが提供していたネタでは、前回取り上げられていたMouse Mischief(一つの画面に多くのマウスポインタが走る)よりも、Interactive Classroom(PowerPointのプレゼンをLAN内のOneNoteに配信。投票とかクイズもできる)が面白かったです。
特に、量的インパクトやら何やらを口する人たちw が企画したコンピュータの講習会って、大人数相手に、かつしょぼいプロジェクタ+安いスクリーンを暗くならない部屋で使いがちなんで、部屋の後ろに座った参加者はスクリーンがそもそも見えない(途上国では視力の弱い人が結構多い)。だからといって刷り物に頼ると、今度は部屋を明るくしなくちゃいけないし(プロジェクタとの併用が難しくなる)、事前準備と印刷コストがアホみたいなことになる。
コンピュータの操作講習会なんで1-2名に一台くらいコンピュータ+電源を確保したうえで無線LAN作る、って条件を整えたうえでInteractive Classroomを使ってみると、講師一人で30組くらいは何とか相手にできます。ただし、所謂「わーくしょっぷ」「ふぁしりてーしょん」の延長線上にコンピュータ操作を置くのは大変だな、とは感じましたが。
追記:
International Institute for Communication and Development (IICD)とMicrosoftがガーナでパートナーシップ(雇用創出系)…という記事を見かけ、Microsoft の4Afrikaにも絡むNPOのIICDって何者よ、と思ったら、以下のURLでInternational Advisory Boardの人たちをみると…ああ、そういうことか、と納得。
http://www.iicd.org/about/organisation
相変わらずの勢いのあるコメントありがとうございます。
・プランA: パッケージの導入で型にハマったシステム導入⇒楽でコストもリーズナブル
・プランB: ゼロからオーダーメイドのシステム導入⇒大変でコストもかかる
というのは、途上国に限らずシステム導入時の選択肢としてある比較検討事項ですね。自分も営業マンのときは、売るシステムによって、一方の長所&もう一方の短所を交互にアピールしていた気がします。途上国が舞台になると、リスクの少ないプランAが選ばれることが多いということでしょうか。パッケージがハマる環境の途上国は多くないのに…。
「コンテクスト」の塊から不確定部分を取り除いたり、というのはエンジニアリング的領域かと感じつつも、入り組んだ依存性をほどいてゆくというのは社会科学的な領域とも考えられると思います。人間がとる行動は必ずしも合理的とは限らないという前提に立たないと現実に起きている課題は理解出来なかったりするのはエンジニアリングとは別のアプローチ(しかも途上国開発系のアプローチ)じゃないかと。そして、相性悪いって言われちゃいましたが、エンジニアリングとそういう別のアプローチが融合することが理想型だと思います。
超上流工程を担う人たちの中に、「パッケージ?なかなかハマらんでしょうに」と言ってくれる人がいればホントに助かるんですけどね(苦笑)。
「未熟な(枯れていない)技術によって自身が試行錯誤する事態を回避したがる」「世の中の普及状況を見て、模倣的に採用する」という態度は、ICT利活用を「ズッコケ不可の業務効率改善の手段」に位置付けている限りにおいては当然でしょう。
自身でリスクを負う覚悟でガンバルのは、製品や技術が変革の手段のひとつであり、そのことによって市場での競争優位を得る目的がある場合に限定されそうです。途上国開発の文脈における市場とか競争優位って何なのでしょうね…。