私は15年の実務経験をベースにアカデミア(研究者)の世界に足を踏み入れていますが、国際協力の現場での実務は大好きであり、今後も研究と実務の交差点に関わるような仕事をしたいと考えています。
そのような博士号のあり方に関する記事が英Gardian誌にありましたので、紹介します。
タイトルは「A PhD should be about improving society, not chasing academic kudos」。日本語に訳すなら「博士号は社会をよくするたためのものであり、アカデミックな名誉を追いかけるためのものではない」といったところでしょうか。
博士課程の学生の1/3がうつ病のリスクにあるなどの統計情報にも驚きますが、キーメッセージとしては、以下のものです。
多くの研究が、現実世界ではなく閉鎖的な研究者コミュニティを向けたものになっている。その壊れたシステムを軌道修正しよう
以下が記事の概要です。ちなみに著者はイギリスで博士号を取得したオランダ人ですので、主に欧米のPhDシステムについて書かれています。
統計を見る限り、現在のPhDシステムは崩壊していることを否定することは難しい。
- 精神疾患がはびこっている。およそ1/3のPhD生は鬱病のような精神疾患を発症するリスクの中にいると言われている。
- 高いドロップアウト率。平均で50%の入学者が博士号を取得できずに退学している。
- 将来有望な科学者達が博士課程に進んでいるにも関わらず、想定より時間がかかっている。例えばドイツのPhDは3年で終わるよう設計されているはずが、ほとんどの学生は5年かかっている。アメリカでは教育分野のPhDの平均取得期間は13年である。その結果、多くの若者はPhDを取る頃には30代に入ってしまう。
- PhDを志望する時点で研究者を志しているはずが、55%しかアカデミアの道に進まない。
- 教職への狭き門。200人のPhD生のうち、7人が大学での職を得て、たった一人が教授になれる状況。
- 多くのアカデミアは世界を良くしたいと研究しているはずが、ビジネスや政策へのインプットではなく、引用件数を増やすのに躍起になっている。
特に最後の点を、アカデミックな業界の欠陥と考える。引用件数は、助教から准教授への昇進条件の一つに設定されることもあり、(本来書きたい論文ではなく)バズワードをちりばめた論文を書かざるを得ない状況もある。これによって多くの引用を得たが、この状況はハッピーではない。これは本質的におかしい。
アカデミアの世界は世界を良くしたことを評価するべきであり、引用件数を追い求めるべきではない。私の提案する新しい博士号は、以下のようなものである。
- 実務家にとって役に立つ発見をするべきで、社会にインパクトのあるべきもの
- 文献調査に一年を費やすのではなく、フィールドに行って実務家と日々研究について話をする
- PhD生も指導教官だけでなく、実務家からもインプットを得ながら研究テーマを設定すべき
- 100,000語の誰も読まない博士論文を書くのではなく、2,000語のドラフトを広く公開し、様々な人からフィードバックをもらうべき
かの孔子も「知識の本質は持つことではなく使うこと」と言っている。このおかしなPhDシステムから脱却しよう。
以上が記事の概要でした。
私も、バングラデシュの現場にいた時に、アカデミアと実務家の考え方、視点の違いにショックを受けたことがPhDに興味を持った一つのきっかけになっています。それは「なんでこの人たち(アカデミア)はこういう考え方するんだろう??」という純粋な興味であり、違和感でした。
その違和感の理由はこの記事にもあるように、目的が異なる点であり、それぞれ長所と短所があるとは感じています。ただ、実務に役立つ研究こそが、本来の社会を良くするための研究であり、価値があるものであるという意見には全面的に賛成です。
私も、アカデミアと実務家の経験を生かしつつ、社会的なインパクトがきちんと評価されるような立ち位置を探っていきたいな(そんな仕事あるのかな・・?)と思う今日この頃です。
また、アメリカの博士号の実態については、以下の記事でも触れています。ご興味ある方は併せてご参照ください。
コメント
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