前回のトピックに続き、青年海外協力隊のときのことを書いてみたい。
当時(2003~2005年)やりたかったけれど出来なかったことの1つに、インターネットのメリットを同僚に伝えることがある。単純に操作を教えるのではなく、ネットを活用して得られる無限の可能性があることを伝えたかった。この目的のために、当時、自分が試みたことは、同僚と供にネットで学校の図書館に本を寄付してくれそうな団体を見つけて応募することだった。「book」、「donation」、「Africa」といったキーワードで検索して、途上国への本の寄付を実施しているイギリスのNGOを見つけ、申請書をダウンロードし申請してみた。同僚には申請書を記入するために当時の図書館にあった本の種類・数を調べてもらったりと動いてもらったが、残念ながら本の寄付を得ることは出来なかった。また、ネットを通じて全く知らない人とも交流するきっかけを作れることを伝えたくて、同僚とともに掲示板を設けた学校紹介Webサイトを作製しアップしたりもしたが、結局、書き込みがあったのは自分が書き込みをお願いした他国で活動する協力隊の友人からでしかなかった。
このような試みを通じて、同僚は、自分が伝えたいこと(ネットを使うための操作ではなくて、メリットや可能性)を多少は理解してくれたかもしれない。しかしながら、結果としては何の利益(本を得るとか)も得ることが出来なかった。最終的にはネット料金の問題があり、学校でネットを長時間利用することが出来なかったため、それ以上の活動は出来ずに終わった。具体的なメリットを得るまで、この様な活動を継続してみたかったと悔いが残る。
一方、最近、エチオピアの自分の活動先であった地方高校でも、教師用のPCルームが出来て、ネットが無料で出来るようになったと聞く。今、自分がまたそこに行ったら何が出来るか?とふと考える。「ウェブ進化論」で有名な梅田望夫は「ウェブ時代をゆく」という本で、ネットは「知の高速道路」であると述べている。ネット上で、MITなどの有名大学の講義が無料で聴けたり、Google Booksで様々な本が読めたり、FacebookやTwitterやらで共通の関心をもつ研究者やエンジニアと議論出来たり、etc. やる気になれば、何でも学べる機会がネットで提供されており、短時間でかなりの知識を得ることが出来ることを、「知の高速道路」と例えている。もし、今、また協力隊で派遣されたなら、このような「知の高速道路」としてのネット利用を、エチオピアの同僚達・生徒達に教えてみたい。
しかしながら、ネットが無料で出来るようになっても、ゲームに熱中している同僚達の様子をその後の協力隊員から聞いている。「知の高速道路」があっても、そこには「知」以外のものが沢山あるわけで(それ故にネットがこんなに普及したのだろうし)、やはり大事なのは自身のやる気である。当時、仲が良かったエチオピア人青年は、「この貧しい国は一部の政治家や金持ちに良い様に出来ていて庶民には希望がないし、さらに、この小さな町には面白味も希望もない」と言っていた。希望がないから道が開けないのか、それともやる気がないから道が開けないのか・・・? ネットが「知の高速道路」という道を提供したら、希望に満ちた将来が彼らにも開けるのか・・・?
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