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ども、Tomonaritです。「デジタル技術と国際開発」の出版はある意味、自分にとっての一つの節目であるので、ちょっとこれまでの迷いまくりのキャリアを振り返ってみようと思います(そうそう、5月14日に出版を記念してオンラインイベントやります!詳細はこちら)。思い返すと2003年に青年海外協力隊でエチオピアに行き、遠隔教育プロジェクトを目の当たりにしたことからICT4Dという分野への興味が始まりました。その後、在エチオピア日本大使館で草の根無償という仕事を2年やらせてもらいました。その後で、留学をしようと思ったものの何を勉強するか迷いました。

ICT4Dを勉強するか?、王道の開発経済とか開発学か?

大使館での草の根の仕事は、まったくICTとは関係ない分野(現地のNGOなどが田舎に学校作ったり、井戸を作ったりみたいなプロジェクトを資金面で支援するもの)だったので、ICTとの関わりは2年間のブランクもあり、なによりもICT4Dがまだマイナーだったいうのも迷った理由でした。それでもやはり遠隔教育プロジェクトの課題を間近で見た原体験が軸にあり、ICT4Dを勉強することに決めたのでした。振り返るとここでICT4Dを選択したのが、今につながっていると思います。

ちなみに、写真は留学時代にインドへ研修旅行へ行った際、空港で結構な待ち時間があり寝ているところ。ご丁寧に同級生がゴミ(ちり紙)をのっけてくれています(出版記念イベント用に留学時代の写真を探したら出てきたのでw)。

そして留学後、日本に帰国し就職活動をしていたときも迷いました。

ICT4D関連の仕事か?、国際開発ならICT4Dに拘らなくても良いか?

やはりこの分野は当時(2008年)でもまだマイナーで、ICT4D分野の仕事を見つけるのは至難の業でした。それでも、こだわってなんとかICT4Dに関連する仕事を探し、派遣スタッフ(時給1X00円)というポジションではありましたが、JICAの研修員OB/OG向けにSNSを立ち上げるという仕事につけることが出来ました。このとき私は33〜34歳で、友人からは「海外マスター持ってて派遣スタッフとかないわ〰」と言われましたが(笑)、ここで国際開発なら何でも良し!と正社員になることを優先しなくてよかったと思います。

当時、給料も安かったので夫婦でゲストハウス(ちょうどゲストハウスが流行りだした頃だったなぁ)に住んでました(6畳間、シャワールーム、トイレ、洗面、キッチンは共有)。仕事は忙しくはなかったので、その分、資格試験の勉強をして情報セキュリティスペシャリストやITストラテジストなど受験料安めの資格をとったりしました(私のもってるIT系資格はほぼ全てこの時期に取ったものです)。今思うとこの時期に資格を取っておいてよかったなぁと思います。自身の勉強にもなったし、履歴書的にも見栄えが良くなりました。33〜34歳で時給1X00円の派遣スタッフとは一般的にはよろしくない感じですが、この時期(1年3ヶ月間)も無駄じゃなかったと感じます。

時間があったからこそ資格取得が出来たというだけでなく、このICT4Dブログを開始することも出来ました。軽い気持ちで始めたので、今まで続いて更に一般社団法人設立やオンラインコミュニティ活動にもつながるなんて、全く想像してなかったなぁ。「軽い気持ちで行動してみる」ってのはオススメです。

JICAか?、開発コンサルか?

派遣スタッフをしながらIT企業や開発コンサルを対象に就活をしてました。相変わらず戦績は負け越しでしたが、履歴書の見栄えがよくなったこともあり、最終的にJICAと開発コンサルから内定をもらうことが出来ました。どっちに行くか悩んだのですが、以前、協力隊時代にJICAの方が「自分は日本の国際開発の営業マンとしてかんばって行きたい」、と言っていたのが印象的で心に残っており、私もICT4Dの営業マンを目指そうと思っていたので、JICAへ行くことにしました。どっちかというと自分は現場が好きなタイプなので、開発コンサルのほうが性に合っているかなという気持ちもあったのですが、外国人の奥さんを日本において年の半分以上出張に行くような生活はちょっと難しいという事情があったのも理由でしたが。

結果的にこの選択もよかったなぁと思います。開発コンサルは少数精鋭のところが多く、最初からガチの即戦力が求められると思うのですが、当時の自分にはそこまでの能力はなかったと思います。他方、JICAのような大組織であれば業務内容がある程度定型化されていて馴染み安いということも言えるかも。

JICAに残るか?、転職か?

その後、約8年半、JICAで働き(派遣スタッフの時期も入れると約10年か、長いなぁ)、転職を考えました。それまでマイナー分野だったICT4Dが、イノベーションやらDXやらといった言葉に衣替えされて、非常に盛り上がって来たというのがその理由。「これは民間企業ではICT4D分野の仕事だけをすることが出来るポジションがあるなぁ」、「ジョブローテーションのあるJICAにいるよりも、民間企業でICT4Dばっかりやれるほうが専門性も磨けるし良いのではないか?」と思ったのでした。わたしは自分の通ってた学校とか会社とかにあまり愛着を持たないタイプなのですが(大学の卒業式も不参加、2〜3数年で転職してますし)、JICAは長年過ごして愛着があっただけに非常に迷ったのですが、「やらない後悔よりもやって後悔!」と思って、ICT4D分野の仕事が出来るビジネスコンサルの会社に転職したのでした。ちなみに、その後も2年で転職してます。

仕事か?、プライベートか?

「仕事も忙しいだろうに、どうやってプライベートの活動時間を確保しているのですか?」と最近、聞かれました。今回の翻訳・出版やこのブログ、オンラインコミュニティICT4D Labの活動、更には神戸情報大学院大学の客員教授としての活動など、仕事以外でもいろんな活動をしている方じゃないかなと自分でも思います(勿論、上には上がいるので自分なんかまだまだ・・・ですが)。で、そう質問をされたのですが、特にこれといった気の利いた回答はないのです。別に「毎週、○曜日の○時からはブログ書く」とか決めているわけでもなく、毎回気が向いたときにダラダラと書いています。また、翻訳・出版プロジェクトにしても、やはり時々は「あー、締切来た・・・」、「面倒だなぁ・・・」、「仕事でもないのに何でやってんだろ?」とも思うわけです。でも、仕事と違って100%好き勝手出来るというのがプライベートの活動の良いところ&モチベーションかなと思います。私の場合は特に仕事とプライベートの活動が同じ領域なので仕事では好き勝手出来ないストレスをプライベートの方で発散させているのかも?と、考えてみると少し納得。

今後は?

「将来を予想して、点(知識や経験など)と点をつなぐことはできない。 後々の人生で振り返った時にしか、点と点をつなぐことはできない。 今やっていることが、将来、自身の役に立つ(点と点がつながる)と信じて取り組みなさい。」

とは、かのスティーブ・ジョブズさんがスタンフォード大学の卒業式で学生さんに向けて放った言葉ですが、そんなふうに思いながらキャリアを振り返ってみました。

そして今後は?ですが、孔子の言葉に以下があります(孔子の論語を引用するようになるとは、オッサンになったなぁ自分w)。

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

40代でも迷いまくっており次の選択は「サラリーマンか?、独立か?」とか「サラリーマンか?、再び学生か?」とか「日本か?、海外か?」みたいな感じかなぁ。まぁ、50歳で天命を知れるようにゆるくやってこうと思います。

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