ども、Tomonaritです。8月1日のキャスタリアのセミナー「Tech Africa Vol.1 アフリカ最重要問題「教育」をテクノロジーサイドから語る」について、その②として、テクノロジーと教育という観点で書きます。
まず、キャスタリア山脇代表からプログラミング教育というものについて、日本でも2020年から小学校でプログラミング教育が必修になるが、「誰が教える」、「どう教える」、「何を教える」という点が曖昧であり、そこをキャスタリアとして提案していっている、という話がありました。
この話を聞いて、途上国でも同様の状況だと思いつつ、ふと15年前に青年海外協力隊でエチオピアでIT教師をしていた時の事を思い出しました。当時、エチオピアでも中高でIT教育が必修になったものの、「誰が教える」、「どう教える」、「何を教える」という点が弱かったので、IT教師として派遣されたのでした。実際は、イマイチながらもカリキュラムと教科書があり、現地の数学や物理の先生がIT教師にコンバートされて授業を行っていました。
そこで、良く同僚に言われたのが「プログラミングを教えて欲しい」ということ。これは自分だけでなく同時期にエチオピアに派遣されたいたIT隊員のなかでは「あるある」でした。でも、そこに「どうしてプログラミングを勉強したいのか?」という理由がないのです。同様に彼ら教えているIT授業では、ワード、エクセル、アクセスの操作を教えるものの、「それらのツールを使って何をするのか?」という視点が抜け落ちていました。アクセスでデータベースを教えるけど、「そもそもデータベースをどんなときに使うのか?そして、それにどういうメリットがあるのか?」という話がないのです。
これは15年前の話ですが、今のプログラミング教育にももしかしたら通じるものがある気がしました。「誰が教える」、「どう教える」、「何を教える」に加えて、「どうして教えるのか?、それがどこでどう活きるのか?」という点も日本でも途上国でも、生徒に教えて欲しいと思います(どの教科についても、そうかもしれないですね。どうして円周率憶える必要あるのか?とか、どうして歴代の首相の名前を憶える必要があるのか?とか、結構疑問でした)。
次に、ケニアの教育分野の専門家である長沼さんから、ケニアの教育事情についての説明がありました。小学校は、だいたい学生400人/1校で8学年(つまり1学年50人位)の小さめの学校が多い…など。そして、一番気になったのが、ケニア政府が全ての公立小学校の学生にタブレットを配布、教師にはノートPCを配布、している(現在進行中)という点。全国約24,000校のうち、すでに約20,000校近くに配布済みらしい。
ケニア政府は、IT教育だけでなく色々な科目の学習用にタブレットが活用されることを目的している、という話。ググったら、関連ニュースがいくつかありました(例:Tablets for all public schools by June)。だが、気になる「うまくいっているのか?」という点は、やはり電力事情や修理出来るエンジニア不足やタブレットを使った教授法についての先生のスキルやら、といった課題があり、なかなか上手く行っていないのが現状とのこと。
この話を聞いて、やはり15年前のエチオピアを思い出しました。当時遠隔教育が導入され、都会と田舎の教育格差をなくすのが目的だったものの、やはりインフラやメンテナンス、先生の問題で当時は上手く行っているとは言いがたい状況でした。
15年前のエチオピア遠隔教育、10〜5年前のOLPC(ルワンダ等)、そして、ケニアのタブレット、と、今も昔も所変われど同じ課題で同じようにつまづいているのか…、と過去から学んでいない(勿論、過去の教訓は考慮しているはずだけど、不十分)ICT4D分野に「なぜなのか?」かと改めて感じました。「ICTはソリューションじゃなくてそれを使う人や環境の整備がないと役に立たない」という議論は20年前から今でもずーっと続いているというのに。以前、もうこの議論は時代遅れじゃないか?と思っていたのですが、「歴史は繰り返す」ということで、訴え続ける必要がある議論なのかも、と改めて思いました。
なお、エチオピアの遠隔教育については、結構このブログでも取り上げているので、以下、参考までに。
コメント
そのタブレットってこのkio kitなんですか?
https://www.brck.com/education/
これはiHubのスピンアウトでパブリックWifiやルーラルWifiをやっているBRCKのプロダクトで私も2016年に見せてもらいました。
ちなみにジブチでもタブレット配ってますが、コンテンツや使い方が全然なってないですね。
自分もkio kitが頭に浮かんだのですが、JOMO KENYATTA UNIVERSITYが製造するというニュースがありました。
https://www.the-star.co.ke/news/2017/01/28/all-public-schools-to-have-tablets-by-march-says-ps_c1495764
http://www.jkuat.ac.ke/positivo-bgh-and-jkuat-ready-to-roll-out-the-dlp/
ただ、全てそうなのか、そうでもないのか?は確証ないです…。なので、ブログの本文で言及していなかったのでした。長沼さんに聞いておけば良かった。
結局、ここでも「プログラミング教育やIT教育を(公平に)調達する」という命題というか暗黙的な制約が存在しているような気がします。
ハードウェア、ネットワーク環境、指導者、指導内容(教科書、テスト、学習進捗管理、評価方法含む)…..。
従来の「教育」を踏襲するとすれば、教育内容は「授業はすでにわかっている内容を効率よく再生する作業→スコア・成績付けは記憶量で採点」であり、個々の機材やソフトウェアのオペレーション教育に落ちこむ可能性は高い→「学校教育では、宣言的知識(意識的な知識)にとどまり、手続き的知識(自動的に使える知識)に移行できてない」というありきたりの批判にさらされる→効用を与えるものは知識ではなく技能だからといって、技能に全振りすると論理的陳腐化の影響が大きくなりすぎ。
ふわふわとしたことを具体的に表現できる能力(現実を観察→モデリング→表現する言語能力)を重視する方向では、指導・評価する先生への要求が非現実的に高くなりそう。