ICT4D研究の終焉?!

アカデミック

ども、Tomonaritです。久しぶりにちょっとアカデミックなトピックです。ICTWorksブログにこんな記事がありました。

Do We Still Need to be Doing ICT4D Academic Research?

日本語だと、「ICT4D 学術研究を行う必要はありますか?」といった感じでしょうか。私もここ最近、国際開発分野におけるデジタル技術の活用がかなり注目を浴びてきたことから、ICT4Dの情報発信に昔よりもモチベーションが上がらなくなって来てたので(10年前はこの分野はマイナーだったので、この分野の可能性や面白さを発信して「もっと知ってもらいたい」と思っていたのですが、今や日経新聞にも途上国でのITスタートアップの活躍が掲載されるようになり、かつての「売れないアイドルを応援するヲタ」的な楽しみがなくなってしまった・・・)、このタイトルに興味をそそられて元の論文まで読んでみました。Silvia Masiero氏というオスロー大学の情報システム学のAssociate Professorの方が書いています。あくまで私の解釈なので、正確性を保証はできず、そこは勘弁してくださいー(._.)

この論文の全体構成ですが、まず、そもそもICT4D研究はどんな前提や希望に根ざしたものだったか?ということを調べて、その根底となる前提条件が今はどう変化したのか?ということ述べています。そして、その変化を踏まえて、「それでもICT4D学術研究ってやる意味あるの?」という問いに答えています。

そもそもICT4D研究はどんな前提や希望に根ざしたものだったか?

ICT4D研究の前提や希望として、以下の3点があげられています。

  1. 「開発(Development)」とは?
  2. 「開発におけるICTの役割」とは?
  3. 「開発途上国(Developing countries)」とは?

1つ目の「開発」については、人やコンテクストによって定義が異なる用語であるものの、ICT4D研究においてはそこまで厳格にこの定義に拘っておらず、それが経済的開発であっても、「人間の安全保障」的なものであっても、基本的に開発は「良いこと」であり、ICTは開発に貢献するとして捉えていた。勿論、ICTによるグローバリゼーションがさらなる貧富の差を生むとか、必ずしもICTによる開発が貧困層の助けになるとも限らない、といった批判的な論調もあったが、ICT4D研究全体でみると、そういう批判もパラパラあるよね、くらいのもだった。

2つ目の「開発におけるICTの役割」については、一時期、ICTが開発途上国に関連しているかどうかという議論があったが、この 議論は明確な「イエス」の答えをもって解決された。今や問題は、ICTが開発に貢献できるかどうかではなく、どのように貢献できるかになっている。また、この観点では「デジタル・ディバイド」が大きな課題として取り上げられており、デジタル・サービスへのアクセスが出来ない貧困層をどう巻き込んでいくか?が議論の的になってもいた。

3つ目の「開発途上国」については、ICT4D研究のなかで頻発する用語であるものの、1つ目の「開発」同様に明確に定義されずに使われることが多かった。

上記の3点をまとめると、望ましい目標としての「開発」という考え、その目標達成に貢献するICTの可能性への確信、そして概念的な「開発途上国」という言葉への信頼、これら全てがICT4D研究のベースになっていたと言える。

その根底となる前提条件が今はどう変化したのか?

上記の3点がどう変化したのか?

1つ目の「開発(Development)」は、その定義がどうであれ、貧しい国にとって望ましいものであるということであった。しかし、これは今でもそうなのか。開発」≒「新植民地主義」的な批判もあり、必ずしも「開発」が「貧しい国にとって望ましいもの」とは限らない。特にICTが普及してデータ化された世界においては、開発における民間セクターのアクター影響力の増大と、貧しい国の人々のデータを営利目的で商品化する企業の出現につながっている。(私が良く著者の意図を理解できてないのかも?ですが、新植民地主義的な議論はだいぶ昔からあり、昔と今でそこまで変化はないと思うのですが、ICT4D研究においては、開発の定義についての批判的な議論が、特に最近になって取り上げられているということなのか?とちょっと違和感あります。でも、データ関連の話は納得。)

2つ目の「開発におけるICTの役割」は、デジタル・ディバイドの考え方に変化あり。以前はデジタル・サービスにアクセス「できる or できない」が格差につながると言われていたが、今は携帯電話の普及によりアクセスはできるようになった。でも、アクセスできるようになったことで、それを有効活用できる層と有効活用できない層の間で格差が生まれている(Heeks教授の論文「Digital inequality beyond the digital divide: conceptualizing adverse digital incorporation in the global South」を見てみてください)。

3つ目の「開発途上国(Developing countires)」は、上記1つ目の「開発」の解釈の変化の影響もあり、最近はICT4D研究では使われなくなりつつある用語。また、Developedな先進国にも貧困層はいるし、国に関係なく不利な立場にいる女性、老人、難民などもいる(勿論、途上国に凄い金持ちもいる)。なのでこの用語は使われなくなりつつある。(この点、論文だと2つ目のコンテクストで書かれているのですが私個人としては、この3つ目に絡めてのほうが納得なので、ここに書いてます)

それでもICT4D学術研究ってやる意味あるの?

私としては、上記の3点の変化の話はちょっと理屈っぽくて分かりにくいのですが、もっとシンプルに、『今まで、「ICTと国際開発」や「途上国におけるICT利活用」という分野は、ICT4Dという分野の専売特許だったけど、世界中の貧しい地域にICTが普及したことで、メディアやコミュニケーション研究、社会学や人類学といったさまざまな分野の学者が、この問題に関心を向けるようになり、もはやICT4Dの専売特許じゃなくなった。で、ICT4Dの学者はどこでバリューを出すの?』というのが、そもそものリサーチ・クエッションだと理解しました。これ以外にも「途上国のスタートアップ・エコシステム支援」とか「民間連携」というトレンドもICT4D分野とかぶる領域も多いし、私自身、冒頭で述べたような売れないアイドルが売れちゃった喪失感チックな思いもあり、上記のように問いを言い換えたほうがしっくりくるなぁ・・・と。

で、著者の回答は以下のようなものです。

1つ目の「開発(Development)」については、「正義としての開発」に向かうべき。関連するクリティカル・データ研究や、ヒューマンコンピュータ・インタラクション(HCI)、インターネット研究などの関連分野の研究では、かつての「開発」の概念はほとんど色あせていることも指摘し、「正義」(すなわち「人々が扱われる方法における公正さ」)の観点から「データ・ジャスティス」への移行を勧める。デジタルで特定された貧困層、文書化されていない移民、国家が管理するデータベースから取り残された人々、などなど、データ化された世界で理不尽な扱いを受ける層がいる。
この観点は以前、NewsletterでKanotがつぶやいていたこと(以下)とも関連しますね。

  • 犯罪率が低いグループに絞った広告はありかなしか?
    アメリカでハウスオーナーが家を売る時に、犯罪率が低い確率が高いからという理由で、白人のみにFacebook広告が出るようにするのは是が非か。
  • Google検索の予測キーワード候補はデータに忠実だとまずい?
    アメリカで黒人の名前をGoogle検索すると、次の予測キーワードに「逮捕」が出てきやすい。これは、過去の検索履歴に基づき、予測キーワードが機械的に表示されるからである。(米での黒人犯罪率は白人より高い。) これはGoogleの人種差別にあたるのだろうか?
  • データサイエンスはマイノリティ支援には有効じゃない?
    実は、マジョリティに対してマイノリティに関するデータは少ないため、政策を打つ根拠データが作りにくく、データサイエンスを活用すればするほどマイノリティに不利な政策になりかねない。

2つ目の「開発におけるICTの役割」については、「多理論的研究アプローチの可能性」がある。(すいません、ちゃんと理解できてないのですが多分、こういいうことだろうと思って書きます)ICT4D研究の理論的枠組みは、技術、コンテクスト、社会経済的発展の基礎理論の組み合わせ(私はこれを「Socio-technicalアプローチ」と理解しています)なので、このような多面的な視点をクリティカル・データ研究など他の分野に取り込むことで、『我々はICTによって「より良い世界を作っているか」という問い』に答えることができる。

3つ目の「開発途上国(Developing countries)」については、「ICTに対する土着的理解への回帰」に意味がある。これは「途上国におけるICT利活用」という原点回帰が重要ということ。情報システム研究の分野は欧米の研究者がリードしており、その理論も欧米コンテクストである。途上国コンテクストの研究を勧めることで、欧米の理論では概念化できない領域を理解するために有用である。

まとめ

研究としてのICT4D分野が構築された前提は時間の経過とともに変化しているが、ICT4D学術研究が終焉に向かっているわけではない。「正義としての開発」、「多理論的アプローチの可能性」、そして「ICTに対する土着的理解への回帰」という側面から、ICT4D研究は現在の状況に合致し、特にデータ化された世界を研究するために出現した新しい分野への貢献・連携が期待できる。

以上、この論文の概要と個人的な感想を交えて書いてみました。正直、(私の理解力が乏しいせいもあり・・・)この3つの側面からの変化の分析と、今後のICT4D研究の意義の整理は、必ずしもキレイに整理されているとは思えないのですが、それでもICT4D研究という分野が変化していることと、その変化なのかでどういった研究テーマにより意義があるのか?を考えるヒントをくれる論文でした。これからICT4D分野を勉強したいと思っている方々の修論テーマ選びとかのお役に立てたら嬉しいです。

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